る趣味性を害《そこな》ふの感あるも、誰も泡鳴の天賦を疑ふものあるを聞かず、彼が文学的円熟期に入らずして死せるは、最も惜しむべきものとす。泡鳴初め浪漫主義を信じ、転じて表象主義に入り、再転して霊肉|合致《がっち》より本能の重大を力説して刹那主義なる新語を鋳造せり。泡鳴は人生の神秘を意識し、その絶対的単純化に依《よ》る生活力の充実を期せるものなり、遂《つい》に彼は、その信念を進めて新日本主義となせり。思ふに泡鳴は、一時代先んじたるものにして、将《まさ》に来《きた》らんとする時代を暗示せり。
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碑文はヨネ・ノグチ氏の撰である。(句点は仮に読みやすいように筆者が入れた。)
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死ぬること愚《おろか》なりといひて
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高笑ひ君はまことに
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命惜しみき
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泡鳴子をおもうと、蒲原有明《かんばらありあけ》氏の歌も刻されてある。
かくのごとき文人と、その最も、思想的にも人間的にも精悍《せいかん》であったであろう時期に、深い交渉をもったのが遠藤清子なのであった。
一方に泡鳴氏が、一風も二風もある、風変りの人であるのに、彼女もまた、一通りのものでない考えを、恋愛と結婚についてもっていた。それがまた、潔癖すぎるほどに堅固に霊の結合をとなえ、精神的な融合から、性の問題にはいるべきだと、実に、きびしすぎるほど真面目《まじめ》に、彼女自身への貞操を守っているのだった。
彼女は、泡鳴氏に結婚を申込まれる前に、五年間もある人を思っていて、そして失恋している。プラトニックラブにやぶれた彼女は、国府津《こうづ》の海に入水《じゅすい》したほど、「恋」に全霊的であり、彼女は事業も名誉も第二義的のもので、恋を生命としていたものは、それに破れれば現世に生きる意義を見出せないとまでいっている。そして、その最初の恋を、心の底にいつまでも宿していた。
彼女は、明治末期の、女性|覚醒《かくせい》期に生れあわせて、彼女は大きな理想のもとに、それまでの女性とは異なる、生活方針を創造しようとした。我国において最初、覚醒運動を起した仲間の一人なので、彼女は彼女のゆく道を正しく歩もうと闘《たた》かったのだ。その理想主義者――泡鳴にいわせればローマン主義者の、愛の闘争は、破れたといっても決して敗北とはいわれま
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