調度は出来るだけ華美に、めざましいほどに調《ととの》えられた。その人数には、俳優、芸妓、旦那衆、画家、芸人、噺家《はなしか》、たいこもち、金に糸目をつけぬ、一流の人たちが主《おも》な役柄に扮し、お徒歩《かち》、駕籠《かご》のもの、仲間《ちゅうげん》、長持《ながもち》かつぎの人足《にんそく》にいたるまで、そつのないものが適当に割当てられ、旧幕時代の万事《こと》を知るものが、その身分々々によって肝煎《きもい》りをした。真にまたと見ることの出来ぬと思われるほどの思いつきで、赤や浅黄《あさぎ》の無垢《むく》を重ね、上に十徳《じっとく》を着たお坊主《ぼうず》までついて、銀の道具のお茶所まで従がっていった。
その行列が通るのをわたしは柳橋で見た。勿論土地の売れっ妓《こ》たちは総縫《そうぬい》の振袖や、袿《うちかけ》を着た、腰元や奥女中に、他の土地の盛り場の妓《おんな》たちと交っていたので、その通行のおりには大変な人気であった。
柳橋の裏|河岸《がし》の、橋のたもとから一、二軒目に表二階に手摺《てすり》のある、下にちょいと垣を結うた粋《いき》な妾宅があった。裏へ抜ければ、じきに吉川町へ出て、若松
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