で離れる事が出来なくなりました。あの時は、全く姉は孤立で、真に心淋しかったのだろうとよく思出します。世の中の噂のようなことが本当ならば、わたしは志望《こころざ》した道を投捨《なげすて》てまで、五年間もこうして姉さんをたすけていやあしません。姉さんの犠牲になって、こうした商業《しょうばい》の帳附けや監督になんぞなりはしません」
と、しんみりと言った。全く彼女にはそう思えたに違いない。秋田で育って県の女学校にはいり、女医を志望していた人には、あまりな商業《しょうばい》ちがいである。
「全くこの妹には気の毒だったのですけれど――この妹でもいてくれなくっちゃ、――この家業だって、ビールか葡萄酒《ぶどうしゅ》でなくっては、西洋のお酒の名さえ分らないのではねえ」
お鯉は眼をふせて面伏《おもぶ》せそうに笑ったが、
「わたしにしてもよくよくだったのです。姉さんが気の毒でとても離れられなかったので、一緒にいろいろ心配もしましたが、その頃のことはわたしも知りませんでしたけれど、あとで聞いて見ると、姉は、自分の事は自分でする、他人の差図《さしず》やお世話にはなりたくないと思っていたらしかったのですね」
と
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