名が消されぬものとして残った。

       二

「横浜の野沢屋さんの大奥《おおおく》さんからのおつかいものでございますの。なんでも六代目さんなんぞは、「お母《っか》さん」というふうにお呼びなすってるようですね。尊敬《あが》めてなので御座いましょうけれどね」
 その遣《つか》いものが、衣服の時があり、手道具の時があり、褥《しとね》の時があり、種々さまざまであるけれども、使いは同じ人にさせているということを、女|小間物屋《こまものや》さんは語った。
「羽左衛門《うざえもん》さんのところと、梅幸《ばいこう》さんのところと、それから六代目さん。六代目《さいわいちょう》さんは附属なんですね。そりゃ火鉢だってなんだって、拵《こしら》えておあげになるのです。たいした檀那《だんな》でございますよ」
 泉鏡花さんの「辰巳巷談《たつみこうだん》」に出てくる沖津《おきつ》のような、江戸ッ子で歯ぎれのよい、女でも良いものばかりを誂《あつら》えられて納めようというお〆さんが、自分の吐いた煙のなかで、ちょいとさげすみ笑いをしたが、
「だが、お鯉さんは好い気風《きっぷ》でしてね。馬鹿だなんていう奴がドサの慾張りなんですよ。そりゃ利《き》ればなれがよくってね、横浜からの遣いものなんざ、貰《もら》うとすぐに、来たもの徳《どく》で、こんなものやろうかってやっちゃうんですからね、さっぱりしたものでさあ。知れたってすこしも恐れるんじゃないから好《い》いでしょう。あたしゃあ好きでしたね。お使いにたって持ってくときもありましたが、見ていてグッと溜飲《りゅういん》がさがっちゃうので、かまうもんですか、やっちゃいなさいよ。旦那がやかましく仰しゃりゃ、またこしらえさせますからさって、唆《け》しかけたものでさあ」
といいながら、器用に、ポンと音をさせて煙管《キセル》の吸殻《すいがら》を吐月峰《はいふき》へはたいた。
「けれどお鯉さんもたいていじゃなかったのですよ。一体|無頓着《むとんちゃく》なのに、橘屋《たちばなや》ときたら、そのころはしどい借金だったのですからね。厭《あ》きもあかれもしやあしないでしょうが、母親が承知しない。それゃ羽左衛門のおっかさんは実に好い人で、どっちでも向いていろという方を向いている人でしたけれど、お鯉さんの方のが承知しやあしません。もともと市村《いちむら》へやったのは、浮気をさせておい
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