モルガンにすれば、おしかさんの京なまりが懐しかったのであろう。京都へいって、そこでも三代鶴《みよつる》やその他の一流の舞妓に目をつけた。
 外国人の客を専門の縄手の小野亭は、お雪の世話をよくしていた。おとなしいお雪が、胡弓を弾くのを、モルガンは凝《じっ》と聴いている時があった。傷ついた心をともにむせび泣いてくれるような、胡弓の絃《いと》の音《ね》がお雪の心情《こころ》のようにさえ思われて来たが、
「この胡弓をもらって行く。」
と言出したのは、二度目に日本へ来た時だった。
「お雪さんも連れて行きたい。」
といったが、その時、お雪には末を約束した学生があったが、そうとは言わず、今度逢うまでに考えておくというように、また来ようとは思いもかけなかったので、軽くいっておいた。それを信じたモルガンは、アドレスを書いた封筒を沢山渡していった。
 次の年、といっても、半年もたたぬうちにモルガンは来て、なんでも根引きするといいだした。それは、こんな噂さえ立ったほどだ。お雪の兄さんが、三条あたりに理髪店を出していて、その人が、外国人でもモルガンほどの人にやるならと、独断で、その封筒を失礼してモルガンを呼んだのだと――
 ダイヤモンドの指環のお土産《みやげ》があろうとも、お雪は未来をかけて約束した人にそむく気にはなれなかった。
「外国人はいやだす。」
と、すげなく断わっても、
「そりゃお雪、つれなかろうぞ。」
などと怨《うら》みをいうのとは違う。お雪が煩《うる》さくなって、病気|出養生《でようじょう》と、東福寺の寺内《じない》のお寺へ隠れると、手を廻して居どころを突きとめ、友達の小林|米謌《べいか》という人を仲立ちに、両手でも持てないほどの大きな籠《かご》に果物《くだもの》や菓子を一ぱい入れて贈ってくる。花束は毎朝々々来る。
 そんなこんなのうちに、見舞われたものが、見舞わなければならない羽目になったのは、あわれ米国《アメリカ》青年が、恋|病《わず》らいのブラブラ病《やま》いになってしまったのだ。
「僕は、この胡弓を抱いて死にます。」
 古い都の、古い情緒を命とするお雪には、そうしたセンチメンタルが、いっち成功する。
「でも、あたし、お妾《めかけ》はいやです。」
とまで、ギリギリと、決勝点近くまで、モルガンは押詰まっていった。
「お妾さんでない。お雪さん、あたくしの夫人《おくさん》です。」
 モルガンは、ちゃんと正妻にして、立派に結婚するという。
 なんといったらよいのか、断わるに断わりきれなくなってしまったお雪は、
「おっかさんが何と申しますか、よく相談して見て――」
 最後の逃路《にげみち》は、母親よりなかった。古風な、祇園の芸妓《げいこ》さんのお母《か》あさんばかりではない。まだその時分には、牛肉を煮る匂いをきらった老女は多かったのだ。異人さんではと逃げを張るのは、こうなると、母親が頼みだ。
 しかし、お母さんを救いの手に持ち出したことは、古くさい日本的な断わり方だと笑えないほどのヒットだったのだ。その時モルガンは、燃えあがった若い血の流れる体を、冷い手で逆に撫《な》でられたように、ゾッとしたものを受けとったのだ。
 それは、誠によくない思出だった。彼が日本へ慰めを求めに来た失恋の所以《ゆえん》は、相思の令嬢の母親によって破られたのだったからだ。彼は厭な顔をしないではいられなかった。なぜなら、紐育《ニューヨーク》社交界の有名マダムより、なおもっと、日本の古都の芸者ガールの母さんの方が、ものわかりがわるく、毛唐人に対して毛ぎらいが甚だしかろうことは、いうまでもないと思ったからだ。
 だが、モルガンは、真心《まごころ》でかかれと決心した。人種はかわっているとて、この、しおらしいところのある、古くさい人々。男性絶対尊重の女たちにまで、肘《ひじ》鉄砲をもらっては、それこそもはや、何処《いずく》の国へいっても顔向けの出来ない男性の汚辱を残す。切り出したからには、今度は、なんでもかんでも成功しないではおかない――
 モルガンが、そうした決心を固めている時、お雪の周囲でも、頭を突きあわせて相談がはじまっている。
 親族会議の方では、古《ふる》門前裏の小屋《こいえ》に、抱え主、親元、小野亭からも人が来て、つまるところは、金高で手をひくように吹っかけたらということになった。
「なんとしてもあんたさん、毛色の違うた男にはな。」
と、二の足を踏んでいる母親に、姉さんや叔母者人《おばじゃひと》たちは、
「そないに雪が、気にいらはったのなら、加藤の家に養子に来てもろたらいいと、皆いうてですがと、そういうたらどうや。」
 そら好い考えだと、それも一つの条件になった。
 お雪はまた、浅酌《せんしゃく》の席で、贔屓《ひいき》になる軟派記者に、鼻声になって訴えている。
「あんた、面白がって、あてと、モルガンのことばかり書き立てずに、親身に考えておくれやす。あて、どうしても嫌どす。」
 縮緬《ちりめん》のじゅばんの袖口がちぢれるほど、ハンケチとちゃんぽんに涙を拭《ふ》くのだが、相手は、
「そんなことは、他《よそ》へいっていえよ。僕が泣かれたって、どうにもならない。お母さんたちのいう通り、うんと吹っかけて見るんだな。本当に惚れてなきゃ、いくら米国《アメリカ》人だって酔狂で大金は捨てやしまい。」
 お雪は、そんな相談を、心から思っている、修業盛りの学生にきかせて、頭を乱させる気はないので、その人には、なるべく、きかれても隠すようにしているのだった。
 で、正妻でなくっては――から、養子に来る気ならば――になり、最後に四万円と切り出した。
 四万円――現今なら、その位のお鳥目《ちょうもく》ではというのが、新橋あたりにはザラにあるということだが、日露戦役前の四万円は、今からいえば、倍も倍も、その倍にも価する金《かね》の値打があったのだろう。赤坂の万竜《まんりゅう》は、壱万|円《りょう》で、万両の名を高くしてさえいる。
 祇園のある古い女《ひと》がいった。
「世界大戦のあとで、なにもかも三倍になったので、パイのパイのパイという唄《うた》がはやりましたなあ、あれは倍の倍の倍ということなのどすえ。」と。
 その、パイのパイのパイ時代になると、舞妓の帯も竜の眼にダイヤの大きなのが光るようになったが、モルガンはお雪に、四万円を、突然ズラリと並べたのではない。
 金の封を切って、ばらまかなくては引っこみのつかない場合にせり詰ってもさすがにモルガン氏は、元禄《げんろく》の昔の大阪の坊《ぼ》ンち亀屋忠兵衛のように逆上しないで、静に、紐育《ニューヨーク》から顧問の博士を呼んだ。ピケロー博士というのは法律か、経済学の人なのであったろう。
 モルガンその時しずかに相談役を呼んだのも、もはや三年越しの恋ではあり、四万円の値札が付いたからには、他から物好きな競争者が出るまでは、ともかく無事、よその手生《てい》けの花となる憂いはないと考えたのでもあったろう。
 で、第一条件の正妻は異議なし、第二の養子婿入りは絶対に無理であるから撤回、第三の問題は根引きの金は二、三千円から段々に糶《せり》上げて、即金二万円、あとは二千五百円ずつの月賦払いというのから、三万円即金の残り月賦と顧問氏は、算盤《そろばん》をはじきだした。
 出るな、と見込んだからでは決してあるまいが、そうなるとお雪派の策士は、ますますもって四万円即金を頑張《がんば》る。
 ジョージ・モルガン氏、お雪さんを見初《みそ》めたのは、勘平さんの年ごろだったが、その時卅四歳、纏《まと》まりそうでなかなかまとまらないのでオスヒスとなって、ある晩、ピストルをポケットに忍ばせ、
「こんなにスローモーションでは堪《たま》りません。蛇《へび》の生殺《なまごろ》しというものです。それというのも、お雪さんの心がぐらついているからです。わたしは死にます。」
 それは全く真剣だったので、お雪は途方に暮れてしまった。
「あなたを、そんなに苦しめるのもあたしからですから。」
と、止めていたお雪の方がヒステリックになって、川の岸に立った。どっちたたずの身の、やる瀬なさに、身を投げて死んでしまおうとしたのだ。
 顧問博士もびっくらしたのであろう。早速四万円を取り寄せることになった。
 そんなこんなが、古風な祇園町の廓中を震撼させた。
「まあ、お雪はんのこと聞きなはったか?」
と、寄るとさわるとその噂だ。
「四万円だっせ。」
 豪儀なことや、という女《もの》もあれば、あんなに厭がってたのだから、あてが代っても好いというふうになっていった。
「ようおすな、四万円。」
「そうどすな、悪うおへんな。」
 花柳界ばかりではなくなった。京都、大阪、東京――全国的な話題になった。
「噂が立ってしまってから、打明《うちあけ》るのは愁《つら》いが、あて、どうしたら好いのか――」
 お雪はある日、末はこの人の夫人《おくさん》にと、はかない望みを抱いていた、情人の机のかたわらに、身をすくめて坐っていた。
「僕はきいていたよ。君の出世を悦んでいるくらいだ。」
と、二十九歳になる、京大法科に通っている、鹿児島生れの、眉目《びもく》秀麗な、秀才はいった。
「僕に尽してくれたのは有難く思っているが、果して、君と一緒になれるかどうかは約束出きないし、今、君がどうしろといったって、どうにもなりはしない。君は行く方が好い。」
 お雪はその場合、死のうといわれたら、当惑するには違いなかったでもあろうが、そんなふうに、愛人《おとこ》が理智的にいってくれるのが、突っぱなされたようにさびしかった。
 説明のしようのない、ただ侘《わび》しさ――お雪の心に残っているものが、心の中で清算しきれないうちに、結婚予定は進んでいった。
 四万円は結納金《ゆいのうきん》ということになった。お雪は完全に妓籍を脱したのだ。
 世間というものはおかしなもので、胡弓芸妓のお雪も、さほどパッとした存在ではなかったのに、モルガン根引きばなしが起ってから、メキメキ売れ出してきた。
 しかも、だんだん金高《かねだか》が騰上《あが》ってゆくのにしたがって、人気が上っていって、一流のお茶やさんから引っぱりだこにされていた。勿論《もちろん》、一流のお客さんたちは、評判になった妓《こ》の顔も知らないとあっては恥辱《はじ》とばかりに、なんでもかんでも呼んで来いということになる。お金持ちは我儘《わがまま》だから、そうなると、あっちの茶屋へいっているといえば、なんでも貰《もら》って来いというのが、古来、廓《くるわ》の女に関しては、ことさらに定法《じょうほう》のようなお客心理だ。
 それが、京都の客ばかりでなく、大阪からも来る、東京のよんどころない方《かた》だからちょいと来ておくれというふうにもなって、三、四日前から口をかけておかなければ、お雪に座敷へ出てもらえないというようになっていた。
 お金をかけてさえそうだから、無代《ただ》となると、これはまた大変、町を――何かの催しがあって、百人ばかりの芸者が歩いたときは、その中にお雪がいるといったものがあったので、どれだどれだという騒ぎになり、あれか、これかと、顔を覗《のぞ》かれて、
「あの時は、えらい目に逢いましたわ。」
と、今日残存の老妓はいっている。
 結婚式の着附は――
「婿さんが洋服なら、あんたも洋服にしなされ。」
「そんなおかしなこと出来ますか。」
というので、もう十二月で新規注文はどうかという押詰まってから、急に二軒の呉服屋さんが招かれ、モルガンも日本服、紋附きの羽織ということになり、
「紋は何にしましょう。」
 お雪さんは平安の都の娘だからも一つ古くいって、平城京の奈良という訳でもあるまいが、丸に鹿の紋を染めることにした。鴨川《かもがわ》の水は、来春の晴着《はれぎ》を、種々《いろいろ》と、いろいろの人のを染めるなかに、この新郎新婦の結婚着も染められたのだ。年の瀬と共に川の水はそんなことも流してもいたのだ。
 三十七年一月、横浜の米国領事館で、めでたく、お雪はモルガン夫人となり、アメリカの人となった。
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