新聞は、華燭《かしょく》の典を挙げたと報じ、米国《アメリカ》トラスト大王の倅《せがれ》モルガン氏は、その恋花嫁のお雪夫人をつれて、昨日の午前九時五十二分新橋着の列車で横浜から上京したと書いているが、横浜のグランドホテルから東京の帝国ホテルへ移った時のことだ。
――花婿は黒山高帽子に毛皮の襟《えり》の付きたる外套《がいとう》を着《ちゃく》して、喜色満面に溢《あふ》れていたるに引きかえ、花嫁はそれと正反対、紺色の吾妻《あずま》コートに白の肩掛、髪も結ばず束《たば》のままの、鬢《びん》のほつれ毛|青褪《あおざ》めた頬を撫で、梨花一枝《りかいっし》雨を帯びたる風情《ふぜい》にて、汽車を出《い》でて、婿君に手を引かれて歩く足さえ捗《はか》どらず、雪駄《せった》ばかりはチャラチャラと勇ましけれど、顔のみは浮き立たぬ体《てい》に見えたり。
と書いている。一等待合室に入って、お供の男女がチヤホヤしても、始終|俯向《うつむ》きがちなので婿どのが頻《しき》りに気を揉《も》んでいたが、帝国ホテルから迎いの馬車がくると新夫婦は同乗して去ったと、胡北《こほく》へ送らるる王昭君《おうしょうくん》のようだとまで形容してあるが、これは幾分誇張かもしれない。
三
競馬|季節《シーズン》になった紐育《ニューヨーク》社交界では、晩餐《ばんさん》の集まりでも、劇場ででも、持馬をもったものはいうに及ばず、およそ話題は、その日の勝馬のことで持ちきっていた。
丁度、そうした時節に、夫の国に行きあわせたお雪は、ある日、競馬見物に連れていってもらった。
と、モルガンを見つけた若紳士たちは、すぐに彼を取りまいて、肩を叩《たた》いたり笑ったりして、お雪には、慇懃《いんぎん》に握手を求めた。
お雪は、その人たちから、米国の婦人と同様に、丁寧にはされはしたが、好奇心をもった眼が集まってくるのが面伏《おもぶ》せでもあり、言葉がよく分らないから、何をいわれているのかモルガンの顔の色で悟るよりほかなかった。
郊外の、みどりを吹く野の風はお雪を楽しませはしたが、競馬に気の立っている、軽快すぎる男女の饒舌《じょうぜつ》は、お雪をすぐに、気くたびれさせてしまった。
モルガンは友達と打解けて話しあっていたが、
「帰ろうか。」
と、じきに競馬場から出てくれた。
此処へ来ても、お雪は、眼、眼、眼と、痛い視線を感じていたので、家庭へかえるとホッとして、
「お友達と、何の話してらしったの。」
と、きいた。モルガンは、あんまり気乗りのしないふうで、
「例の通り、お雪さんの身元しらべ。」
お雪は済まなさそうに、ほほ、ほほと、薄笑いした。
「また、刀鍛冶《かたなかじ》の娘だと、おっしゃったのでしょう。」
お雪はモルガンが、自分の生れを、日本の魂を打つ刀鍛冶の女だと吹聴《ふいちょう》し、刀鍛冶という職業は、武士の階級だといって、日本娘お雪を紹介するのを、気まり悪く思っているのだった。
――いいや、彼奴《あいつ》は、そうかとはいわなかった。それどころか彼奴《あいつ》がいうには、モルガン君、君の夫人は、芸妓ガールだと、最近来た日本人がはなしてたよといった――
そんなふうに、友人から、面皮《めんぴ》を剥《は》がれて来たことを、モルガンは押しかくして、
「彼は、どうして君のおくさんは日本服ばかり着ているのだというから、一番よく似合うからさといったのだが――」
モルガンのそういう調子には、何処か平日《ふだん》とは違うものがあった。
「実際うるさい奴らだ。」
お雪は、モルガンの楽しまない顔色を見てとって、ふと、競馬場で摺《す》れ違うと、豪然と顔を反《そら》して去った老婦人に出逢ったからだと、気がついていた事を、それとなく言いだした。
「あの方ね、あの年をとった女の方、あれがマアガレットさんのお母さんですの?」
「お、どうして分りました。」
モルガンは隔てなく、椅子《いす》を近づけていった。
「お察しの通り、あの老婦人、マッケイのお母さんです。僕を厭《きら》った夫人《ひと》です。」
エール大学の学生の時分から、思いあっていて、紐育モルガン銀行に勤めたのも、マーガレット・マッケイ嬢と婚約のためといってもよいほど急いだのだ。
「変ね、あなたが、お遊びになったからって、お母さんが破棄《やぶり》なすったのですって?」
日本の芸者お雪には、青年で、金持ちの息子が、すこしやそっと遊興したからって、思いあった娘をやらないなんという母親があるかしらとわからなかった。その時も、まだもっと、他の理由があるのではないかと、うなずけない気持ちだった。
「そんなことは、みんな、口実に過ぎない。」
と、モルガンはお雪の肩に手をおいた。
「フランスへ行って住まおう、あっちの館《うち》は好いよ、静かで――」
モルガンが父母と住んだ、壮麗な館《やかた》は、レックスにあったが、彼は新妻と暮すには、パリが好いと言った。
「アメリカでは、仏教――お釈迦《しゃか》さまの教えは異教というのです。着物を着ている女は、異教徒だとやかましい。」
それもお雪には、わかったような解らない、のみ込みかねたものだった。
開けたアメリカにもまた、古い国の家柄とおなじようにブルジョア規約があるのだった。四百名で成立っている紐育金満家組合が、まず、ジョージ・モルガンを除名し、モルガン一家の親戚《しんせき》会では、お雪夫人を持つ彼を、一門から拒絶した。
お雪の生家では、出来ない相談として、モルガンに養子に来てくれといったが、モルガン一族は親類|附合《づきあい》すらしないというのだ。
「日本であそんで、フランスへ行こうよ。」
「ええ、丁度お里帰りですわ。」
お雪は、日本へ帰れるのが嬉しかった。米国の社交界から、漂泊的な生活をしている上に、クリスチャンでない女と結婚したという理由で、非紳士的行動だと、追われるように立ってゆく、モルガンの悲しい心は知りようがなかった。
あの草川《くさかわ》のほとりに仮住居《かりずまい》していたのは、その時のことだったが、モルガンが浮気する――そんな噂《うわさ》に浮足たって、お雪はフランスへ永住のつもりで、二度目の汽船に乗った。いよいよもう何時《いつ》帰るか故郷の見おさめだと思った。
みんな、行ったばかりの、パリの感想というものは、暗かった、古っぽかった、湿っぽかったという巴里は、恐《お》そらくお雪にも、他の日本人が感じた通りの印象を与えたのだろう。すこしいつくと、あんな好い都はない、何もかもがよくなってくるというパリも、そこまで住馴染《いなじ》まないうちに、お雪はも一度京都へやって来た。
「今度は、お母さんと三人で住まおう。ちょうど、須磨《すま》に、友人の家が空《あ》いたそうだから。」
と、モルガンは優しい。
須磨では、のんきな、ほんとうに気楽な、水入らずの生活が営まれた。
「パリというところは、どんな処だい。」
と生母に訊《き》かれると、
「古くさいけど、好いところもある。」
「雨はどんなに降る?」
「一日のうちに、幾度も降ってくるのどすえ、今降ったと思うと晴れる。」
「では、いつも傘《かさ》持って歩いとるの。」
「いえな、誰も持ってしまへん。軒の下や、店さきに、みんなゆっくり待ってやはるのえ。東京の人のように駈《か》けだすものありゃへんわ。フランスで、雨にあって、もうやむのがわかっていても、駈出すのは、日本人ばかりやいうけれど――」
「西京《こちら》のものは、さいなことしやせん。そんなら、パリというところ、京都に似てるやないか。」
「しっとりした都会《とち》で、住んだら、住みよいところで、離れにくいそうやが――」
母子がそんな話をしているときに、モルガンの父の病気が重いという、知らせが来た。
幸福は永久のものではない。モルガンは一足さきに立ったが、父親には死別した。お雪は一月ばかりしてフランスへ後から帰った。それが母親への死別となった。
モルガンは、父の莫大《ばくだい》な遺産を継いだ。お雪もパリの生活が身について来たが、やっぱり初めのうちは、デパートへ行けばデパート中の評判になり、接待に出た支配人が、友達たちに、お雪さんの観察評をしたりするように、煩《うる》さかったが、アメリカ社交界とはだいぶ違っていた。
シャンゼリゼの大通りを真っすぐに、パリの、あの有名な凱旋門《がいせんもん》の広場は、八方に放射線の街路があるそうだが、モルガンの住宅は、アベニウホッシュのほとりだという。
森とよばれる、ブーローニュ公園を後にした樹木に密《こ》んだ坂道の、高級な富人の家ばかりある土地で、門構えの独立した建築物《たてもの》が揃《そろ》っているところにお雪は平安に暮してはいる。しかし、日本人ぎらいの名がたつと、誰一人付きあったというものがない。
マロニエの若葉に細かい陽光の雨がそそいでいるある日のこと、一人の令嬢《マドモアゼル》と夫人《マダム》が、一人の日本婦人を誘って、軽い馬車をカラカラと走らせていた。
「オダンさまの夫人《おくさま》。」
と、美しい夫人《マダム》はいった。
「そのお邸《やしき》が、モルガンさんのお宅だそうですが、お訪ねなすったらいかがです。」
フランスのオダン氏は、日本の美術学生の面倒を見るので有名で、世話にならない者はないほどだった。夫人は日本婦人で、お雪の年頃とおなじほどだった。
「でも、」
と、オダン夫人は考えぶかく同乗の女《ひと》の好意を謝絶《ことわ》った。
「あまり、お逢いなさりたがらないそうですから――」
そうした、おなじ国の、おなじ年頃の、フランスの人になっている、おなじ京都の女性《ひと》にさえお雪は往来《ゆきき》がなかったのだ。生家へも、母親の死んだあとはあまり便りがなく、一昨年《おととし》京阪を吹きまくった大暴風雨《おおあらし》に、鴨川の出水をきいて、打絶えて久しい見舞いの手紙が来たが、たどたどしい仮名文字で、もはや字も忘れて思いだすのが面倒だとあった。
だが、母のない家へも仕送りは断っていない。財産管理者から几帳面《きちょうめん》に送ってきた。
お雪には子はないのか――誰も子供のことをいわないから最初からないのであろう。モルガンは四十三歳でこの世を去ってしまっている。
それは、世界大戦のはじまった時だった。紐育《ニューヨーク》に行かなければならない用事があって、モルガンはお雪を残して単独で行ったが、フランスが案じられるし、ぐずついていると、ドイツの潜航艇が、どんなに狂暴を逞《たくま》しくするかしれないと、所用もそこそこに、帰仏をいそいだのだった。モルガンが乗っていたのは、あの、多くの人が怨みを乗せて沈んだルシタニヤ号だった。どうも汽船ではあぶないという予感から、ジブラルターで上陸し、一日の差で、潜航水雷の災難からは逃れたが、どうしても死の道であったのか、途中スペインのセヴレイまで来ながら、急病で逝《い》ってしまった。
それからのお雪は、異郷で、たった一人なのだ。
――来年あたり帰りたいが、一人旅で、言葉も不自由だというおとずれが、故郷へあったと聞いている。
それがもとでの間違いであろうが、祇園町にいた老女《としより》が、東京のあるところへ来て、
「お雪さんが帰って来てなさるそうや。昔の学生さんのお友達で、留学してやはった、大学の教師さんと夫婦になって――」
それは、誤伝の誤伝だった。あちらに長くいて、映画では東郷大将に扮《ふん》したという永瀬画伯が、お雪さんだと思って結婚したとかいう婦人と、久しぶりで帰郷したことの間違いだった。その婦人は十歳位からフランスで育ち、ある外国人の未亡人で、女の児がある浅黒い堂々とした女だということだ。
お雪は、パリの家に、ニースにただ一人だ。いえ、ニースでは、イタリア人が一緒だったというものもあるが、モルガンのない日のお雪は、孤独だといえもしよう。
底本:「新編 近代美人伝(下)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年12月16日第1刷発行
1993(平成5)年8月1
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