性《ひと》にさえお雪は往来《ゆきき》がなかったのだ。生家へも、母親の死んだあとはあまり便りがなく、一昨年《おととし》京阪を吹きまくった大暴風雨《おおあらし》に、鴨川の出水をきいて、打絶えて久しい見舞いの手紙が来たが、たどたどしい仮名文字で、もはや字も忘れて思いだすのが面倒だとあった。
 だが、母のない家へも仕送りは断っていない。財産管理者から几帳面《きちょうめん》に送ってきた。
 お雪には子はないのか――誰も子供のことをいわないから最初からないのであろう。モルガンは四十三歳でこの世を去ってしまっている。
 それは、世界大戦のはじまった時だった。紐育《ニューヨーク》に行かなければならない用事があって、モルガンはお雪を残して単独で行ったが、フランスが案じられるし、ぐずついていると、ドイツの潜航艇が、どんなに狂暴を逞《たくま》しくするかしれないと、所用もそこそこに、帰仏をいそいだのだった。モルガンが乗っていたのは、あの、多くの人が怨みを乗せて沈んだルシタニヤ号だった。どうも汽船ではあぶないという予感から、ジブラルターで上陸し、一日の差で、潜航水雷の災難からは逃れたが、どうしても死の道であった
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