》にとり入れて書いた作《もの》さえある我国である。
金と男ぶりとだけがものをいうのなら、むかしゃ仙台さま殺しゃせぬで、新吉原の傾城高尾《けいせいたかお》の、大川の船の中での、釣《つる》し斬《ぎ》りの伝説は生れはしない。
米国の百万長者、モルガン氏の一族で、未婚で、美貌な、卅歳の青年も、お金と美貌だけではこの国の女は思うままにならなかったのだ。
要約すれば、明治卅年ごろは、金の威光が今ほどでないとはいわないが、女の心が、物質や名望に淡《うす》かった。廓の女でも、躰《からだ》は売っても心は売らないと、口はばったく言えた時代で、恋愛遊戯などする女は、まだだいぶすけなかったのだ。――すけなかったというので、なかったとはいえない。甚だよくない言いかただが、男地獄買いという嫌な字と、貴婦人醜行という拭《ぬぐ》えないいとわしい字があるが、それは、他のことで、その時代を書く時に、そんな嫌な言葉を生んだ風潮を弁明して、全《すべて》の女性に負わせられた恥辱をそそごう。
ところで、ここにまた、不思議なことに、かつて成恋《せいれん》した男性を奪うということは、ある種の女には誇りとする傾きがある。その代
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