視線を感じていたので、家庭へかえるとホッとして、
「お友達と、何の話してらしったの。」
と、きいた。モルガンは、あんまり気乗りのしないふうで、
「例の通り、お雪さんの身元しらべ。」
 お雪は済まなさそうに、ほほ、ほほと、薄笑いした。
「また、刀鍛冶《かたなかじ》の娘だと、おっしゃったのでしょう。」
 お雪はモルガンが、自分の生れを、日本の魂を打つ刀鍛冶の女だと吹聴《ふいちょう》し、刀鍛冶という職業は、武士の階級だといって、日本娘お雪を紹介するのを、気まり悪く思っているのだった。
 ――いいや、彼奴《あいつ》は、そうかとはいわなかった。それどころか彼奴《あいつ》がいうには、モルガン君、君の夫人は、芸妓ガールだと、最近来た日本人がはなしてたよといった――
 そんなふうに、友人から、面皮《めんぴ》を剥《は》がれて来たことを、モルガンは押しかくして、
「彼は、どうして君のおくさんは日本服ばかり着ているのだというから、一番よく似合うからさといったのだが――」
 モルガンのそういう調子には、何処か平日《ふだん》とは違うものがあった。
「実際うるさい奴らだ。」
 お雪は、モルガンの楽しまない顔色を見てとって、ふと、競馬場で摺《す》れ違うと、豪然と顔を反《そら》して去った老婦人に出逢ったからだと、気がついていた事を、それとなく言いだした。
「あの方ね、あの年をとった女の方、あれがマアガレットさんのお母さんですの?」
「お、どうして分りました。」
 モルガンは隔てなく、椅子《いす》を近づけていった。
「お察しの通り、あの老婦人、マッケイのお母さんです。僕を厭《きら》った夫人《ひと》です。」
 エール大学の学生の時分から、思いあっていて、紐育モルガン銀行に勤めたのも、マーガレット・マッケイ嬢と婚約のためといってもよいほど急いだのだ。
「変ね、あなたが、お遊びになったからって、お母さんが破棄《やぶり》なすったのですって?」
 日本の芸者お雪には、青年で、金持ちの息子が、すこしやそっと遊興したからって、思いあった娘をやらないなんという母親があるかしらとわからなかった。その時も、まだもっと、他の理由があるのではないかと、うなずけない気持ちだった。
「そんなことは、みんな、口実に過ぎない。」
と、モルガンはお雪の肩に手をおいた。
「フランスへ行って住まおう、あっちの館《うち》は好いよ、静かで――」
 モルガンが父母と住んだ、壮麗な館《やかた》は、レックスにあったが、彼は新妻と暮すには、パリが好いと言った。
「アメリカでは、仏教――お釈迦《しゃか》さまの教えは異教というのです。着物を着ている女は、異教徒だとやかましい。」
 それもお雪には、わかったような解らない、のみ込みかねたものだった。
 開けたアメリカにもまた、古い国の家柄とおなじようにブルジョア規約があるのだった。四百名で成立っている紐育金満家組合が、まず、ジョージ・モルガンを除名し、モルガン一家の親戚《しんせき》会では、お雪夫人を持つ彼を、一門から拒絶した。
 お雪の生家では、出来ない相談として、モルガンに養子に来てくれといったが、モルガン一族は親類|附合《づきあい》すらしないというのだ。
「日本であそんで、フランスへ行こうよ。」
「ええ、丁度お里帰りですわ。」
 お雪は、日本へ帰れるのが嬉しかった。米国の社交界から、漂泊的な生活をしている上に、クリスチャンでない女と結婚したという理由で、非紳士的行動だと、追われるように立ってゆく、モルガンの悲しい心は知りようがなかった。
 あの草川《くさかわ》のほとりに仮住居《かりずまい》していたのは、その時のことだったが、モルガンが浮気する――そんな噂《うわさ》に浮足たって、お雪はフランスへ永住のつもりで、二度目の汽船に乗った。いよいよもう何時《いつ》帰るか故郷の見おさめだと思った。
 みんな、行ったばかりの、パリの感想というものは、暗かった、古っぽかった、湿っぽかったという巴里は、恐《お》そらくお雪にも、他の日本人が感じた通りの印象を与えたのだろう。すこしいつくと、あんな好い都はない、何もかもがよくなってくるというパリも、そこまで住馴染《いなじ》まないうちに、お雪はも一度京都へやって来た。
「今度は、お母さんと三人で住まおう。ちょうど、須磨《すま》に、友人の家が空《あ》いたそうだから。」
と、モルガンは優しい。
 須磨では、のんきな、ほんとうに気楽な、水入らずの生活が営まれた。
「パリというところは、どんな処だい。」
と生母に訊《き》かれると、
「古くさいけど、好いところもある。」
「雨はどんなに降る?」
「一日のうちに、幾度も降ってくるのどすえ、今降ったと思うと晴れる。」
「では、いつも傘《かさ》持って歩いとるの。」
「いえな、誰も持ってしまへん。軒の下や
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