った。それが、明澄な碧緑《みどり》の空気の中におくと、広い額の下に、ふっくらした眼瞼《まぶた》に守られた、きれ長な、細い、長い眼が――慈眼そのもののような眼もとが、モルガンが日本で見た、白磁の観世音《かんぜおん》のそれのようだった。
 と、いうよりも、いま、お雪の全体が、マリア観音の像のように見えたのだった。キリシタン宗門禁制、極圧期に、信者たちは秘《ひそか》に慈母観音の姿ににせて造ったマリアの像に、おらっしょ[#「おらっしょ」に傍点]したのだという、その尊像を思いうかべるほど、今日のお雪は気高《けだか》く、もの優しいのだった。
 おお、あそこの岩窟《がんくつ》のなかに据えたならば、等身の、マリア観音そのままだと、モルガンがお雪を愛撫《あいぶ》する心は、尊敬をすらともなって来た。
「お雪さんを、わしは終世大事にします。」
 模糊《もこ》として暮れゆく、海にむかって聳《そび》ゆる山の、中腹に眼をやりながら、モルガンは心に祈るようにすら言った。
 お雪は、そういってくれる夫の、眼の碧さから、眼も離さないで、
「あたしこそ、あんなに騒がれて来ましたのですもの、あなたに捨てられても、おめおめと日本へ帰られはしません。」
 お雪の背中に手を廻して、モルガンはひしと抱きよせた。口にこそ出せないが、感謝と慚愧《ざんき》とをこめた抱擁だった。
 ――お互に、痛手はあるが、もう決して今日からそれをいわないことにしよう――
 男の心にも、女にも、そんな気持ちが、ひしひしとして、二人の魂を引きしめさせた。
「ニースへ別荘をつくろうか。」
 モルガンは気を代えるようにいうのだった。
 モルガンにすれば、はじめてニースに来て見た旅行者《エトランゼ》ではなかった。幾度か華《はな》の巴里《パリ》の華やかな伊達女《だておんな》たちと、隠れ遊びにも来ているのだが、不思議なほど清教徒《ピュリタン》になっていた。
 一流のホテルが、各自《たがい》にその景勝の位置を誇って、海にむかって建ち並んでいる。その前側が大きな弓型の道路で岸の中央に、海に突出して八角の建物のカジノ・ド・フォリーが夢の竜宮のように青ばむ夜を、赤々と灯《ひ》を水に照りかえしている。
 ホテルの窓々からも、美しい灯が流れ出しはじめた。山麓《さんろく》のそこ、ここからも竜燈《りゅうとう》のような灯が点《とも》りだした。天の星は碧く紫にきらめ
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