》にとり入れて書いた作《もの》さえある我国である。
金と男ぶりとだけがものをいうのなら、むかしゃ仙台さま殺しゃせぬで、新吉原の傾城高尾《けいせいたかお》の、大川の船の中での、釣《つる》し斬《ぎ》りの伝説は生れはしない。
米国の百万長者、モルガン氏の一族で、未婚で、美貌な、卅歳の青年も、お金と美貌だけではこの国の女は思うままにならなかったのだ。
要約すれば、明治卅年ごろは、金の威光が今ほどでないとはいわないが、女の心が、物質や名望に淡《うす》かった。廓の女でも、躰《からだ》は売っても心は売らないと、口はばったく言えた時代で、恋愛遊戯などする女は、まだだいぶすけなかったのだ。――すけなかったというので、なかったとはいえない。甚だよくない言いかただが、男地獄買いという嫌な字と、貴婦人醜行という拭《ぬぐ》えないいとわしい字があるが、それは、他のことで、その時代を書く時に、そんな嫌な言葉を生んだ風潮を弁明して、全《すべて》の女性に負わせられた恥辱をそそごう。
ところで、ここにまた、不思議なことに、かつて成恋《せいれん》した男性を奪うということは、ある種の女には誇りとする傾きがある。その代りにまた、失恋した人、厭《きら》われた男ときくと、その人を見下げないと、自分の沽券《こけん》にさわるように見もしかねない。だから、あんな奴にと思うような男に多くの女がひっかかって、恋猟人《ラブハンタア》の附け目となり、釣瓶《つるべ》打ちにもされるのだ。
そこでモルガン氏に帰れば、彼は、米国から、失恋の痛手を求めに、東洋へ来たのだと、何処からとなく知られていた。フランスでも癒《いや》されない恋の痛手を、慰撫《いぶ》してくれる女を、東海姫氏国《とうかいきしこく》に探ねて来たのだと噂された。
しかし彼は、かなり金ビラをきって情界を遊び廻り、泳ぎまわった割合に、花柳《かりゅう》の巷《ちまた》でさえ、惚《ほ》れた女を、幾度も逃している。
モルガンは、お雪と逢ったはじめは、お雪の十九の年で、あっさりと別れているが、お雪の廿一の年に来て恋心を打明け、廿三のときに正妻に根引きした。それが三度目に日本へ来たときのことで、その後、結婚して帰国した次の年に一度、また次の年に来て、それきりモルガン氏も日本へは、バッタリ来なくなってしまったのだ。
お雪との交渉もまだはじまらない時分、京都へも足を踏み入れ
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