。」
「岸はあんまり人がいすぎるね、馬車も通るし。」
「でも、みんな、知ってたことですもの。」
お雪がほほえんでそう言ったのは、自分たちの情史は、あんなに評判されたからという意味だったので、モルガンは愉快に笑った。
――お雪が、二度と語るまい、また、弾くまいと、その時、モルガンと自分との恋のいきさつを、胡弓の絃に乗せて、あの、夢のような竜宮、碧藍《みどり》の天地へ流したそれを、かいつまんで伝えればこんなことになる。
京都の、四条の橋について、縄手《なわて》新橋|上《あが》ルところに、小野亭というお茶やがあった。外国人ばかりをお客にするので、そこに招《よ》ばれる妓《こ》を、仲間では一流としない風習があった。
鴨川《かもがわ》をはさんで、先斗町《ぽんとちょう》と祇園。春の踊りでも祇園は早く都踊りがあり、先斗町はそれにならって鴨川踊りをはじめた。そのまた祇園の歌妓《かぎ》、舞妓《まいこ》は、祇園という名の見識をもたせて、諸事|鷹揚《おうよう》に、歌舞の技業《わざ》と女のたしなみとを、幼少から仕込むのだった。
縫いの振袖に、だらりに結びさげた金襴《きんらん》の帯、三条四条の大橋を通る舞妓姿は、誰《た》が家《や》の姫君かと見とれさせるばかりだった。そうした舞妓時代を経ないものは、祇園の廓内《くるわうち》でも好い位置を保てないのが不文の規則なのだ。出入りのお茶やにも格があったのだ。
十九のお雪に、小野亭の仲居《なかい》がささやいた。
「あんたを、あの外国人が、ぜひ梅《うめ》が枝《え》に連れて来ておくれと言うてなさるが――」
梅が枝は円山《まるやま》温泉の宿だった。
「モルガンさんいうて、米国の百万長者さんの、一族の息子さんやそうな。」
日本の春を見に来たモルガンは、沢文《さわぶん》旅館の滞在客で金びらをきっていた。
二
金持ちや美男に、片恋や失恋などがありましょうかと、簡単にかたづけられてしまいそうだが、恋というものの不思議さは、そこだといえないでもない。
およそ、見るほどのものを陶然とさせ、言い寄られた女性たちは、光栄とも忝《かた》じけなしとも、なんともかとも有難く感じ奉《たてまつ》ったあの『源氏物語』の御《おん》大将、光る源氏の君の美貌《びぼう》権勢をもってしても、靡《なび》かなかった女があったと、紫式部が、当時の生活描写を仔細《しさい
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