アイーダ」を上場した。川上の旧門弟とは、貞奴がたてた川上の銅像や、郷里の墓所のことなどから、心持ちの解けあわない事があって出演しなかったが(彼らは川上の望んでいた芝|高輪《たかなわ》泉岳寺の四十七士の墓所の下へ別に師の墓を建て、東京における新派劇団からの葬式を営んだ)幸いに伊井、河合、喜多村の新派の頭立《かしらだ》った人が応援して、諸方からの花輪、飾りもの、造りもの、積《つみ》ものなどによって賑《にぎ》わしく、貞奴の部屋や、芝居の廊下はお浚《さら》い気分、祭礼《おまつり》気分のように盛んな飾りつけであった。福沢氏の催した連中は興行中を通して五千人の申込みで、その多くは招待であった事なども素晴らしい事として語りあわされた。
本名のお貞と、芳町時代の奴の名とあわせて、貞奴と名乗った女優の祖を讃するに、わたしは女優の元祖|出雲《いずも》のお国と同位に置く。世にはその境遇を問わず、道徳保安者の、死んだもののような冷静、無智、隷属、卑屈、因循をもって法《のり》とし、その条件にすこしでも抵触すれば、婦徳を紛紜《うんぬん》する。しかし、人は生きている。女性にも激しい血は流れている。人の魂を汚すようなことは、その人自身の反省にまかせておけばよいではないか? わたしは道学者でない故に、人生に悩みながら繊《ほそ》い腕に悪戦苦闘して、切抜け切抜けしてゆく殊勝さを見ると、涙ぐましいほどにその勇気を讃《たた》え嘉《よみ》したく思う。
ああ! 貞奴。引退の後《のち》の晩年は寂寞《せきばく》であろう。功|為《な》り名遂げて身退くとは、古《いにし》えの聖人の言葉である。忘れられるものの寂しさ――それも貴女《あなた》は味《あじわ》わねばなるまい。しかし貴女は幸福であったと思う。何故なら貴女は、愛されもし愛しもし、泣いたのも、笑ったのも、苦しんだのも、悦んだのも、楽しんだのも、慰められたのも、慰めたのもみんな真剣であった。それゆえ貴女ほど信実の貴い味を、ほんとに味わったものは少ないであろう。その点で貴女は、真に生甲斐《いきがい》ある生活をして来たといわれる。わたしは此処に謹《つつし》んで御身の光輝ある過去に別れを告げよう、さようならマダム貞奴!
[#地から2字上げ]――大正九年三月――
底本:「新編 近代美人伝(上)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年11月18日第1刷発行
1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「近代美人伝」サイレン社
1936(昭和11)年2月発行
初出:「婦人画報」
1920(大正9)年2〜4月
※「松居松葉」と「松井松葉」、「嘗《な》め」と「甞《な》め」の混在は、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2005年9月24日作成
2007年4月11日修正
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