っと趣があって懐しみがあった。喜多村が旅行《たびゆ》きの役《やく》のことで、白糸の後の幕の扮装のままでくると、手軽に飲みこみよく話をはこんでいた。
「とても僕たちにはあれだけは分らない。意味の通じないことを二言三言いって、そのままで別れて幾日か立つと舞台で逢うのだ。それがちゃんと具合よくいってるのだから分らない。」
 福沢さんが、他《ほか》の人とそんなことを話合っているのを聴き残して、わたしはまた以前《もと》の見物席の方へかえって来た。暫《しばら》くするとドカドカと二、三人の人が、入りのすくない土間《どま》の、私のすぐ後へ来た様子だったが、その折は貞奴の出場《でば》になっていた。
「ねえ、僕が川上の世話を焼きすぎるといって心配したり、かれこれいうものがあるけれど、男は女に惚《ほ》れているに限ると思うのです。」
 そういう特種《とくしゅ》の社会哲学を、誰《たれ》が誰に語っているのかと思えば、聴手《ききて》には後《うしろ》に耳のないわたしへで、語りかけるのは福沢氏だった。わたしは微笑《わらい》を含《か》みながら真面目《まじめ》になって、そのくせ後へはむきもせずに耳をすましていた。
「これが
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