なことは、その人自身の反省にまかせておけばよいではないか? わたしは道学者でない故に、人生に悩みながら繊《ほそ》い腕に悪戦苦闘して、切抜け切抜けしてゆく殊勝さを見ると、涙ぐましいほどにその勇気を讃《たた》え嘉《よみ》したく思う。
ああ! 貞奴。引退の後《のち》の晩年は寂寞《せきばく》であろう。功|為《な》り名遂げて身退くとは、古《いにし》えの聖人の言葉である。忘れられるものの寂しさ――それも貴女《あなた》は味《あじわ》わねばなるまい。しかし貴女は幸福であったと思う。何故なら貴女は、愛されもし愛しもし、泣いたのも、笑ったのも、苦しんだのも、悦んだのも、楽しんだのも、慰められたのも、慰めたのもみんな真剣であった。それゆえ貴女ほど信実の貴い味を、ほんとに味わったものは少ないであろう。その点で貴女は、真に生甲斐《いきがい》ある生活をして来たといわれる。わたしは此処に謹《つつし》んで御身の光輝ある過去に別れを告げよう、さようならマダム貞奴!
[#地から2字上げ]――大正九年三月――
底本:「新編 近代美人伝(上)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年11月18日第1刷発行
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