アイーダ」を上場した。川上の旧門弟とは、貞奴がたてた川上の銅像や、郷里の墓所のことなどから、心持ちの解けあわない事があって出演しなかったが(彼らは川上の望んでいた芝|高輪《たかなわ》泉岳寺の四十七士の墓所の下へ別に師の墓を建て、東京における新派劇団からの葬式を営んだ)幸いに伊井、河合、喜多村の新派の頭立《かしらだ》った人が応援して、諸方からの花輪、飾りもの、造りもの、積《つみ》ものなどによって賑《にぎ》わしく、貞奴の部屋や、芝居の廊下はお浚《さら》い気分、祭礼《おまつり》気分のように盛んな飾りつけであった。福沢氏の催した連中は興行中を通して五千人の申込みで、その多くは招待であった事なども素晴らしい事として語りあわされた。
本名のお貞と、芳町時代の奴の名とあわせて、貞奴と名乗った女優の祖を讃するに、わたしは女優の元祖|出雲《いずも》のお国と同位に置く。世にはその境遇を問わず、道徳保安者の、死んだもののような冷静、無智、隷属、卑屈、因循をもって法《のり》とし、その条件にすこしでも抵触すれば、婦徳を紛紜《うんぬん》する。しかし、人は生きている。女性にも激しい血は流れている。人の魂を汚すよう
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