事が、舞台で化粧をこそすれ、何事にも追われがちの不如意の連中には、指の爪のことまで繊細《デリケート》な気持ちを持っていられなかった人々が、感銘深くながめたという有様だった。
病床で川上が言続けていた、フランス・パリーの博覧会――そここそ、マダム貞奴の名声を赫々《かくかく》と昂《あ》げさせたものである。海外にあって最も輝かしかった三ツの歓喜、そのひとつは亜米利加《アメリカ》ワシントンで、故小村公使の尽力で、公使館夜会に招かれ、はじめて上流社会に名声を博し得たこと。またひとつは英吉利《イギリス》で上村大将に遇《あ》い、その力にてバッキンガム・パレスで、日本劇を御覧に入れたこと――たしかそのおり貞奴は道成寺《どうじょうじ》の踊の衣裳のままで御座席まで出たとおぼえている。――もひとつは、仏蘭西《フランス》のパリーで栗野公使の尽力により、一行が熱望しきっていた博覧会の迎えをうけたことである。この事こそ、ほんとに彼れらのためにも、日本劇のためにも前代未聞の出来ごとだったのだ。あらゆる天下の粋を集めた、芸術の源泉地仏蘭西パリーで、しかも、そのもろもろの美術、工芸、芸術品に篩《ふる》いをかけた博覧会
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