てしまうと――ことに東京座などはだだっ広いのと入りがなかったので、涼しい風が遠慮がなさすぎるほど吹入って、納涼気分に満ちた芝居小屋であった。川上座は帝劇と有楽座をまぜた造り方であったので、その時分の人たちにはひどく勝手違いのものであったが、開場式に呼ばれたものは川上の手腕に誰れも敬服しあっていた。一千にあまる来賓はすべての階級を網羅《もうら》し、その視線の悉《ことごと》くそそがれている舞台中央には、劇場主川上音二郎が立って、我国新派劇の沿革から、欧米諸国の劇史を論じ、満場の喝采《かっさい》をあびながら挨拶《あいさつ》を終った。その側《かたわら》に立つ奴の悦びはどれほどであったろう。共に労苦を分けた事業の一部は完成し、夫はこれほどの志望《こころざし》を担《にな》うに、毫《すこし》も不足のない器量人であると、日頃の苦悩も忘れ果て、夫の挨拶の辞《ことば》の終りに共に恭《うやうや》しく頭をさげると、あまりの嬉しさに夢中になっていたために、先日のいきさつから附髷《つけまげ》を用いている事なぞは忘れてしまい、音がして頭から落ちたもののあるのに気がつかなかった。湧上《わきあが》った笑い声に気がついて
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