学をしてのち詫《わ》びにくるから、奴は手許《てもと》へあずかっておいてくれと詫を入れた。けれど亀吉はいっかな聴《きき》入れはしない。
「もとの通りにして返したならば受取ろう。」
 それが養母の答えであった。川上は是非なく、同郷の誼《よしみ》のある金子堅太郎男爵の許に泣付いていった。何故ならば、金子男が、伊藤総理大臣の秘書官のおり、ある宴席で川上の芝居を見物するように奴にすすめて、口をきわめて川上の快男子であることを説いた。そうした予備知識を持って、はじめて川上を見た奴は、上流貴顕の婦人に招かれても、決して川上が応じてゆかないということなども聴いて、その折は面白半分の興味も手伝ったのであったが、友達芸妓の小照と一緒に川上を招いて饗応《きょうおう》したことがある。それが縁で浜田屋へも出入《でいり》するようになり、伊藤公にも公然許されて相愛の仲となり、金子男の肝入りで夫妻となるように纏《まとま》った仲である。それ故、そうことがもつれてむずかしくなっては、金子氏にすがるよりほか、養母も奴も聴入れまいと、堅い決心をもって門をたたいたのであった。その代りには断然不始末のあとを残すまいという条件で持
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