ても、妾《めかけ》と呼ばれるのがいやで、どうか巡査でもよいから同情の厚い人の正妻になり、共稼《ともかせ》ぎがして見たいと思っていたので、川上との相談もととのい結婚はしたが、勝気の彼女としては夫とした川上をいつまでもオッペケペッポではおきたくなかったのだ。
在米一年半ばかりで、野村子爵に伴われて帰って来た川上は、洋行戻りを土産《みやげ》に、かつて自分がひきいていた一団のために芝居を打たなければならなくなり、浅草区|駒形《こまかた》の浅草座を根拠地にして、「又意外」で蓋《ふた》をあけた。その折の見物の絶叫は、凄《すさ》まじいほどで、新派劇の前途は此処に洋々とした曙《あけぼの》の色を認めたのであった。それに次いで起った問題は、劇道革進の第一程として、欧米風の劇場を建設することで、川上は万難を排してその事業に驀進《ばくしん》した。それとても奴の力がどれほどの援助であったか知れなかった。
浜田屋亀吉の娘で芳町の奴である細君の名は、貧乏な書生俳優、ともすれば山師と見あやまられがちな川上よりも、信用が百倍もあった。細君の印形《いんぎょう》は五万円の基本金を借入れて夫の手に渡し、川上座の基礎はその
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