なければならない。地味な世界は他《ほか》に沢山ある。遊ばせるという要は窮屈ではいけない。だからお客よりも馬鹿で浮気な方がよい。理につんだ事が好きならば芸妓にはしゃがしてもらいにきはしない。そこで、浮気なのはよいが、慾に迷えば芸妓の估券《こけん》は下ってしまう。大事な客は一人と極《き》めてその人の顔をどこまでも立てなければならないかわりに、腕でやる遊びなら、威勢よくぱっとやって、自分の手から金を撒《ま》かなければいけない。堅気ではないのだからむずかしい意見はしない。だがよく覚えてお置き、遊びだということを……」
 それは彼女が十六のおり、初代奴の名を継いで、嬌名いや高くうたわれるようになったおりの訓戒だ。賢なる彼女は、養母の教えを強《しか》と心に秘めていたが、間もなく時の総理大臣伊藤博文侯が奴の後立てであることが公然にされた。彼女はもう全く恐《こわ》いものはなしの天下になったのである。総理大臣の勢力は、現今《いま》よりも無学文盲であった社会には、あらゆる権勢の最上級に見なされて、活殺与奪の力までも自由に所持してでもいるように思いなされていた。そして伊藤公は――かなりな我儘《わがまま》をす
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