、それは大家《たいけ》の箱入り娘と、好人物の父との賜物である。一本気な持前《もちまえ》も、江戸生れの下町のお嬢さんの所有でなければならない。其処へ養母によって仁侠《にんきょう》とたんか[#「たんか」に傍点]と、歯切れのよい娑婆《しゃば》っ気《け》を吹き込まれたのだ。そうした彼女は養母の後立《うしろだ》てで、十四歳のおりはもう立派な芳町の浜田屋小奴であった。
廿九歳で後家《ごけ》になってから猶更《なおさら》パリパリしていた養母の亀吉は、よき芸妓としての守らねばならぬしきたりを可愛い養娘《むすめ》であるゆえに、小奴に服膺《ふくよう》させねばならないと思っていた、その標語《モットー》――芸妓貞鑑《げいしゃていかん》は、みな彼女が実地にあって感じたことであり、また古来の名妓について悟った戒《いまし》めなのであった。彼女は言う。
「好い芸妓になるなら世話をして下さる方を一人と極《き》めて守らなけりゃいけない。それが芸妓の節操《みさお》というものだ。金に目がくれて心を売ってはいけない。けれども不粋《ぶすい》なことはいけない。芸妓は世間を広く知っていなければいけない。そして華やかな空気《なか》にい
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