心中に軽蔑《けいべつ》していたことである。彼女にはともすれば拭《ぬぐ》われがたい汚辱を感じることがあるであろう。夫が無暴《むぼう》な渡航を思立って、見も知らぬ外国へ渡り窮乏したおりのことである。また一座十九人に、食物も与えられなかったおりのことである。雪のモスクワで――さまよいあかした亜米利加《アメリカ》で――彼女が身を投捨て人々の急を救ったといわれている。それは彼女にも苦痛な思出であったであろう。それかあらぬか噂《うわさ》には、折々川上が貞奴に辱《はずか》しめられていたこともあるといわれた。
敬さなければならない第一は、いうまでもなく彼女が女優として舞台生活をする第一歩を与え導かれたことである。彼女の夫が彼女を舞台にたたせたのは、他《ほか》の必要から来た――あるいは人気取り策であったかも知れなかった。けれど、その当否はともかくとして、我国の、新女優の先駆者としては、此後《こんご》どれほどの名女優が出ようとも、川上貞奴に先覚者の栄冠はさずけなければなるまい。技芸はどうでも、顔のよしあしは如何《どう》でも、ただそれだけでも残り止《とど》まる名であるのに、何という運のよいことか、貞奴は美
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