にはとれないほど準備した興行ぶりであった。住む家もこれからの生活も安定なものである事は誰れも知ったことで、無常を感じたり、禅機などから一転して急に世からのがれたくなったのではない事はあんまり知れすぎていた。それゆえに、草の中へでもかくれてしまおうというような「とりあえず」には思いおよぶことが出来ない。もしもまた、亡夫川上の墓石もたてたから、これをよい時機として役者を止《や》めようとしたのであったならば、貞奴の光彩のなくなったのも尤《もっと》もだと、頷《うなず》かなければならないのは、あれほどの人でも役者をただ商売としていたかと思うそれである。
思わずも憎まれ口になりかかった。わたしがそう言うのも、その実は、この女優の引退をおくるに世間があんまり物忘れが早くて、案外同情を寄せなかったことに憤慨したゆえでもあった。わたしはせめてこの優《ひと》に培養《つちかわ》れた帝劇の女優たちだけでも、もすこし微意を表して、所属劇場で許さなくとも、女優たちの運動があって、かの女の最終の舞台を飾り、淋しい心であろう先輩を悦ばせてもよかったであろうにと思った。
彼女は日本の代表的名女優として海外にまでその名を知られている。かえって日本においてより外国での方が名声は嘖々《さくさく》としている。進取|邁進《まいしん》した彼女のあとにつづいたものは一人もない。もうその間《あいだ》は十幾年になるが、一人として彼女の塁《るい》を摩《ま》したものはないではないか。それは誰れでも自信はあるであろう。貞奴に負けるものかとの自負はあっても、他から見るとそうは許されぬ。それは彼女の技芸そのものよりは度胸が、容姿が、どんな大都会へ出ても、大劇場へ行っても悪びれさせないだけの資格をそなえている。貞奴のあの魅惑のある艶冶《えんや》な微笑《ほほえ》みとあの嫋々《じょうじょう》たる悩ましさと、あの楚々《そそ》たる可憐《かれん》な風姿とは、いまのところ他の女優の、誰れ一人が及びもつかない魅力《チャーム》と風趣とをもっている。彼の地の劇界で、この極東の、たった一人しかなかった最初の女優に、梨花《りか》の雨に悩んだような風情《ふぜい》を見|出《いだ》して、どんなに驚異の眼を見張ったであろう。彼女のその手嫋《たおや》かな、いかにも手嫋女《たおやめ》といった風情が、すっかり彼地の人の心を囚《とら》えてしまった。あの強い意志の
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