した興行で地方を廻らなければならないようにされてしまった。時代の要求は女優を必要とし、多くの急造女優は消えたり出たりしている。帝劇が十年の月日のうちに候補者を絶えず補充しながらも、律子、嘉久子、浪子の第一期生のうちの幾人かを収穫したにすぎず、あとはまだ未知数になっている。その他の劇団では何もかもたった一人の須磨子を死なせてしまっては、もうあとは語るにも足りぬ有様となってしまった。
そんなであるに、もう貞奴は忘れられたものになっている。彼女はもうお婆さんであるから人気をひかないというような、当事者の思いあまりからばかり、彼女が圏外に跳退《はねの》けられたのではなく、若いおり聡明《そうめい》であった彼女の頭が、すこし頑迷《がんめい》になったためではあるまいか、若いうちは皮相な芸でも突きこんでゆこうとする勇気があった。後にはただ繰返しにすぎないものとなって、すこしの進境もなく、理解のともなわぬ、ただお芝居をするだけになった芸道の堕落のためだと思う。そうした真価の暴露されたのは、川上を失ったためであるといって好いであろう。
川上とて、いまも生きて舞台に立っていたならば、新派創造時代の雑駁《ざっぱく》な面影をとどめていて、むしろ恥多き晩年であったかもしれない。しかし彼れが動かずに、いつまでも自分に固定していようとは思われない。一層彼れは黒幕になって画策したことであろう。彼れはきっと女優全盛期に向っている機運をはずさず、貞奴をもっと高める工夫をこらしたに違いない。
それとても、彼女が願うように――いま福沢さんが後援しているように――表面だけ賑《にぎや》かしの興行政策をとったかも知れない、貞奴自身の望みとあれば……
貞奴に惜しむのは功なり名遂げてという念をおこさずに、何処までも芸術と討死《うちじに》の覚悟のなかった事である。努力が足りなかったと思う。わたしのいう努力とは、勢力運動のことではない。教養の事である。新時代に適するように頭を作る必要であった。そしたらいま彼女はどんな位置にいられたろう。芸術に年齢《とし》のあるはずはない。
二
貞奴は導かれて行きさえすればきっと進んでゆく人である。あるいは、もうあれだけで充分ではないか、随分花も咲かせて来た、後《あと》のことは後のものにまかせて、ちっとは残しておいてやった方がよいと言うものがあるかも知れない。そ
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