場の舞臺に出されるをりは組みかへられることになる。
此處で三十錢説を繰りかへして稱へる。三十錢は安いやうでまだ高いがこれは單《たん》に觀劇料ばかりではない。食べものも含んでゐるので、最初から好むところを述《の》べると、切符は赤、青、白、などの色によつて食事券をも代用する。そして、二階に三階に、左右に、いづれの食堂もよき食事をすこしの騷音もなく、その日の入場者の數と、最初の指定によつた數を、みだれずに配置よく、一人の不滿もないやうに、美くしく心地よく並べる。食事の不滿があつては、いかによき演劇を見せたからとてなんにもならない。
氣の早い人はもうここらで笑ふでせう。なるほど夢だと――三十錢で、どうしてそんなに何もかもが出來るかと。
それは立派な劇場を建てるのは非常な金を要し、幾人かの株主がそれを出すかはりに、出したが最後、支出金の何十倍に達する利益を收《をさ》めたからとて、もうよいよ[#「よいよ」に傍点]とは決していはない。だから、こんな劇場は出來よう筈もないが、建築費は無論勘定には入れない、あとはみんな勞資協定、必然《ひつぜん》な費用だけ引いて一錢づつでも殘りを割る。一厘でも一毛で
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