握手《あくしゆ》、富《とみ》で買ふ人たちだけが不自由する――そんな劇場の一ツや二ツあつてもよい筈だ。ぜひ持ちたい。
でも興行者側はなんといふか? 少《すこ》しでも障りになるか? いえ、ちつとも痛痒《つうよう》は感じないであらうと思ふ。第一見物が在來の劇場側にちつとも屬してゐない――はいりたくてもはいれない人たちだから。では、高給で抱へてゐる俳優たちを動かされては? さうした心配もまづ無用だと思はれる。小劇場によつて試演される劇は、高價な場代を拂つて樂しむ見物にはあまりよろこばれない代物《しろもの》だと、いはゆる黒人筋《くろうとすぢ》は樂觀するだらう。俳優は給金をとつてはやれない芝居を、眞《しん》に力一ぱいに――それは出來不出來や人氣が生活を脅やかさないグループの中だから、ほんとに熱心にやれるよろこびをもつて、眠つてしまつた藝術慾とおとろへた生活力を盛返すであらう。そしてこの小劇場の會員である事を誇らしくさへ思はなければならなく思ふだらう。尤も此舞臺では役者の等級はない。十代目市川團十郎より、名なしの權兵衞氏の方が、權助の役においてすぐれてゐれば、それが主役であらうと、合議の結果は大劇
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