な時小山内氏に聞くのだが、悲しくも恰度其日その夜、本紙十月號記載上田文子氏の「晩春騷夜」上演記念の會で發病逝去されてしまつた――無代ならば大變結構なことと思つた。だが、さて、その無代といふことについて考へさせられた。
 假に無代として、どういふ觀客が無代でその劇場へ招じられるか? お上のお仕事である――其實は市民の懷から出てゐるお金であるけれど――服裝は何々、資格はどうといふことになると、十圓の入場料でも五圓でも出せる人が、傲然《がうぜん》とただ[#「ただ」に傍点]で澄《す》ましかへつてはいつてゆくやうになる。そのほかには作家だとか、俳優だとか、劇場關係者の家族が、何か素晴らしい特權でももつた人間のやうな顏をしてのさばり[#「のさばり」に傍点]かへる。と、いふのは、あたしは何時も劇場にいつて見て不愉快なのは、觀劇費の幾割かを觀客から貰つて生活してゐる人間が、ぬつ[#「ぬつ」に傍点]とした顏をしてゐたり、平等の藝術愛好者でなければならないのに、いささかの座席の料金の差がつくらせる大面な上等席のブルジヨア見物の顏である。それ故、折角の無代であらうとも、一千萬圓も建築費にかけた其《その》立派
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