《りつぱ》な劇場は、國賓《こくひん》を招く場合があるとか、なんとかかんとか名をつけて、いはゆる庶民はいつも三階、もしくは四階五階へ押上げられて、一等席は貴女紳士と名づけられるものでなくては許せないとなるとなんのための無代ぞやと言ひたくなる。
そこで、そんな、削られて消えてしまつた案などにコダはつてゐないで、あたしはいつもあたしのユートピアだと笑はれる、あたしの案の大劇場論をここですこしばかりいひたい。ばかばかしいと思ふ利口者は讀まないでもよいし、理想を實現してくれたいといふ人があれば三拜九拜する。
食べられない人が多くあるのに、夢のやうな大劇場論など何が必要だと、女人藝術のお友達には叱られるかも知れないが、あたしは脚本作家である故か、劇場の方のことが妙に頭を支配する。
そこで、あたしはずつと前から大小二ツの劇場がほしいと思つてゐる。一ツは最も小さい、會員組織――重に藝術にたづさはる者のみによるもので、他から望まれたをりは或は一夕の觀覽料を貳百圓からとるかも知れない。なぜならこの會員は、演者も道具方も音樂も、上演脚本もみな會員から出たもので、しかもその劇場の維持費《ゐぢひ》さへ負
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