が、明治時代は二丈八尺がお定まり、木綿ものは七尺のもあつた。これは時代を遡つて、特別の織のほかは、寸尺の短いものであつたことを思はせる。
 お針仕事が、津々浦々の、女たちにもわかりよいやうに、反物の幅《はば》は、およそ男の人の絎《ゆき》に一ぱいであることを目標《めあて》とし、その布を、袖に四ツに畳んで折り、身ごろを長く四ツに折ればとれる。あまつたのを竪に二ツに割つて、襟とおくみとすれば出来る。縫ひ方も簡略で、みんな竪に縫ひ、袖の下を縫つて袋にすればよいので、単衣を合せれば袷、間に綿を入れれば綿入れとなつたのだ。
 しかも、寸法も、男は何寸、女は何寸と定法《じやうはふ》があり、大概それで誰にも着られる。子供は、何歳までが四ツ身、その下が三ツ身、その下が赤児用の一ツ身で、四ツ身は何尺の裂地が入用、一匹の布(成人用の四反が一機《ひとはた》で、二反つながつてゐるのが一匹)で四ツ身は三ツとれる、三ツ身は半反で出来る、一ツ身は一反の三分の一の裂れ地で出来ると教へられる。
 ふぞくした襦袢でも、下布でも、みんな竪長、横長、角型であるから、たち屑も出ないが、裁ち、縫ふのが楽であると共に、着るのも楽だ。
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