きもの
長谷川時雨

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)汗の香《か》が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ]――昭和十四年九月十日夜――

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もつと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 着ものをきかへようと、たたんであるのをひろげて、肩へかけながら、ふと、いつものことだが古への清少納言のいつたことを、身に感じて袖に手を通した。
 それは、雨の降るそぼ寒い日に、しまつてあつた着るものを出してひつかけると、薄い汗の香《か》が鼻をかすめると、その、あるかなきかの、自分の汗の匂ひの漂よひと、過ぎさる夏をなつかしむおもひを、わづかの筆に言い尽してあるのを、いみじき言ひかただと、いつでも夏の末になると思ひ出さないことはない。何か、生といふ強いものを、ほのかななかにはつきりと知り、嗅ぐのだつた。

 きものにもさま/″\あるが、煎じつめれば、きものは皮膚の延長だとわたくしは思つてゐる。
 裸身《はだか》では居られないので、天然の美を被ふのに、その顔によく似合つた色の布を選らむのは当然なことで、すこしでも美しいのをといふ心持ちが、色彩に敏くなり、模やうや、かたちまでが種々に変化し、売手のつくる流行に支配されると、自分の皮膚とは、似てもにつかないものをつけることになつて、化粧を濃くしてごまかし、自分の本来のものを殺してまで衣服の柄の方に顔を合せようとする不自然さになつたりする。

 そんなことを思つてゐるところへお客があつた。きものの話をきいて書くのだといはれる。
 いろんな変転を経て来て、日本の着ものは、この風土と、この家屋とのなかに育つて、平和な時の家庭服としては、ゆくところまでいつた良さがあるといふやうな話をして、
「一人の人が考へたのではなく、長い月日の間に、みんなが、自分たちに具合よくしていつたのだから――」
 と、言ひながら、
「日本の着物を裁つといふのは、反物を四ツ四ツと折つて、それを二ツに断りはなし、あとを竪に二ツにすれば出来る、老若男女、いづれもおなじ、こんなにはつきりしたものはない。」
 と、昔の人の頭のよさを、また思ひ直した。
 反物は、近頃こそ袖が長くなつたので、三丈とか、三丈三寸とか五寸もあるのがある
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