なく、あたしにも日に二三度すゑなければ承知しなかつた。弱いからといつて――お行儀が惡いからといつて――ハイと言はなかつたからといつて――
だが、あたしの弱かつたのはお灸のせゐだと今《いま》では思つてゐる。なぜならば、膏汗《あぶらあせ》と精根《せいこん》を五ツ六ツのころから絞《しぼ》りつくしてゐるのだ。ごめんなさいといつたからとて許してくれるものではない、泣けば泣くだけ多くすゑられる。逃げればいよいよ惡化する。跳《は》ねかへさうとすれば、母《はゝ》の大《おほ》きな肥《こえ》えた體《からだ》が、澤庵漬《たくあんづけ》のやうに細つこいあたしの上に乘つて、ピシヤンコにつぶしてしまふ。まつたく或時は、涙とよだれと鼻と汗で、平《ひら》べつたくなつてしまつて起きあがられない事もあつた。そんな時は圖々しいといつて、短氣《たんき》な母《はゝ》の平打《ひらう》ちがピシヤリピシヤリと來て、惡くするとも一度熱い目にあはされたりした。そして、その祖母といふ女《ひと》と、母といふ女《ひと》と、二人の年長者は言つた。
「家《うち》の子は仕置きがきいておとなしい、それにどうやら體も丈夫になつた。」
子供たちは支那
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