思つてゐる。しかし、手紙をよむをりは、そんなことなど氣《け》にも思ひはしなかつた。

 おとづれは、中秋望月の夜にふさはしい風流なものであつた。
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今夜、玉露をいただきに、SとNが、ことによると立よりたいさうです。とにかくはなれの準備だけねがひます。
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 それを讀むと、ああ居てよかつたと思つた。鶴見の家の縁に、葡萄や栗をお三寶に盛りあげて待つであらう老母《はは》のことを思ふと、今朝の空のやうに晴れしぶつてゐたのであつたが、何時留守に歸つて不自由をかけてもすまないと、このごろの留守居ぐせが習慣になつて、あの激しかつた暴風雨のあとの見舞にも行つて見なかつたのが、まづ役にたつたと思つた。
 新居とはいへ、他人の住み古した古い古い家である。ただ疊の新しいだけがおもてなしでもあらうか、それに月は雲をきれてくまなくさしてゐる。我庭はせまいが塀のむかふには他家の廣庭がある。枝さしかはした影は我ものも同樣なので富んだものである。
 山本の玉潤はきらしたが、宇治からもつて歸つた玉露が幸に味が逃げないである。土地に馴れず買ふ家も知らないので、總家鹽瀬の新栗むし
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