》に光物靜夫が目に入し時、花笄の片々する/\とぬけて、かた袖仲人が取つくろふひまも無、盃臺のわきにみぢんとなりておもとの實は、ころ/\と靜夫《しづを》が袴の前にころがりぬ。
祝儀《しうぎ》すむやそこ/\定紋の車幾臺大川端の家にとむかへり、あわれ病人《やむひと》やあつしくなりにしがあたゝかき息こもるうばらの園《その》うやさまよう、細き息の通ふばかりとや、にぎしき家の外にも淋敷《さびしき》こゝの庭木にも夜一夜《よひとよ》木枯の吹あれて、あくるあしたよりあわれ父翁の面痩《おもやせ》目《め》にたちぬ。
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「うづみ火」のこと
陸中國釜石鑛山内水橋康子として懸賞に應募し、明治四十三年十一月號の『女學世界第一卷第十五號定期増刊「磯ちどり」才媛詞藻冬の卷・小説』の初頭に掲載され特賞(賞金十圓)を得、又主幹松原二十三階堂(岩五郎)氏に激勵鞭撻の書簡を送らる。當時病後靜養に釜石鑛山所長横山氏家に遊行中の事なり。二十三歳の秋、處女作。未だ「しぐれ女」のペンネームを使用せず。
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底本:「時代の娘」興亞日本社
1941(昭和16)年10月22日発行
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