大洋が戀しくなつたのだ。
昨日《きのふ》のはなしの折にも、私は毎年《まいとし》繰返していつてゐる、秋には山へいつて、山の風に吹かれてくるのだと、今年も出來ない相談であらうことを樂しく語りながら、高原に立つて秋草を吹き靡かす初秋の風に身をまかせて、佇んでゐる自分《じぶん》を描き、風の香《かをり》をなつかしんでゐたのだ。足を勞さないで、居ながらに風景を貪る癖《くせ》からなのか、それとも、空ばかり眺めくらしてゐた太古《たいこ》の、前生人《ぜんしやうびと》からの遺傳か、それこそ一足《ひとあし》から千里《せんり》も飛ぶやうな空想が、私にはなかなか役にたつ遺産で、私の心を、役《えん》の行者《ぎやうじや》のやうに、雲にして飛ばしてくれる。
しかし洋《わだ》の原《はら》が戀しくなつたのは、高原《やま》の風が辷りこむやうに、空想が海を走つたばかりではなかつた。私の二人の古い友達が、海《うみ》のあなたに渡《わた》つて、長く歸らないことが、堪らなくさびしくなつたのだつた。
[#ここから1字下げ]
「此間《こなひだ》あなたに小《こ》つぴどく怒られた夢《ゆめ》を見た。いつか長い手紙を頂いて、毎日毎日友達は嬉
前へ
次へ
全10ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング