八十歳ほどの人だつた。二十二三の忰《せがれ》に八十の老爺、その二人だけの家内といふのが氣になるわけなのに、それをすら好條件の一個條に仲人はあふりたてた。なるほど、姑は居ない、舅《しうと》は年齡からいつても八十歳ならば、もはや餘命いくばくもない筈である。嫁《とつ》がせる娘よりは、その母人の方がすつかり乘氣になつてしまつたのだつた。精力的な四十女は、大家内の娘の婚家の内外を、やがて、自分も手傳つて切り盛りするであらう樂しさをさへ語るのだつた。親類の少いのも、嫁にとつては居よいとさへ仲人はいふのだつた。
 だが、その婚家は、どうしてさう血縁のものがすくないかといふ、當然疑問にしてよい事は閑却されてゐたのだつた。これは、悲しいことがつづいてから後になつて檢討され、それだからだつたと言ひあはされたが、あはれな娘にとつては、なんにもならない後の祭りでしかなかつた。その家には、婿になる男の兄弟が八人もあつたのだが、みんな年頃になつて死んでしまつてゐたのだ。しかも、若い一番末のたつたひとり殘つた息子に急に嫁をさがしだしたのも、どうやら忰もまた氣欝症になつたと見て、早く嫁でももたせたらば跡に血筋を殘して
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