平民道
新渡戸稲造
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)先達《せんだって》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)万民|普《あまね》く
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#5字下げ]渡米船上の感激[#「渡米船上の感激」は中見出し]
−−
[#5字下げ]渡米船上の感激[#「渡米船上の感激」は中見出し]
先達《せんだって》中本誌の余白を借りてデモクラシーに関して一言するところがあった。今回計らずもデモクラシーの本家本元なる米国に渡るを好機会として、自分の述べた事が他人の、ことに先輩の説くところとどれほど符合するか、また背馳《はいち》するかを見たい心掛である。
横浜を出帆する際、親類を見送りに来られた文学博士遠藤隆吉君に甲板上で遇うたら、同君が『社会及国体研究録』の第一号を手渡しつつ「デモクラシーは国体と相反するような考を抱く人があるので誠に嘆かわしいから、今度このような研究録を出して大《おおい》に世の惑《まどい》を釈《と》こう」といわれた。この一言は深く吾輩を感激せしめた。僕は同君には日頃親しみはないけれども、君の手を執《とっ》て打振るほど悦《よろこ》ばしく思った。しかし口に発したのはただ「ドーゾやってくれたまえ」と繰返すのみであった。
[#5字下げ]デモクラシーは平民道[#「デモクラシーは平民道」は中見出し]
しばしば紙上に述べた通りデモクラシーは現時世界の大勢である、これに背く民はその末甚だ憂えられる。ただに流行なるが故にこの勢に乗ずべしとは吾輩《わがはい》の主張するところでない。吾輩の主張は今回に始った事でなく二十年已来の所信であった。たまたまこの事を述べてもとかく誤解を来し勝《がち》であるために遠慮をしておった位な事であるが、吾輩の所信は已《すで》に数多き著書の中《うち》にあちらこちらに漏らしてある。かつて十余年前大阪で演説した時の如きは聴衆の中にあった米国のウエンライト博士が演説後僕に言われたことに「君は武士道の鼓吹者とのみ思っていたに、今日その反対の説を聴いて驚いた」と。その時僕は同博士に拙著『武士道』の巻末を熟読せられたなら、吾輩の真の主張が理解されるであろうと答えた。この一話によっても読者は察せられるであろうが、今日僕の論ずるデモクラシーは決して今日に始った事ではない。デモクラシーなる字が如何にも流行語になったからこれを説くものも流行を追うものの如く思われ、またこの字を民主主義とか民本主義とか訳するから国体に反《そむ》くような心配を起すけれども、僕はこれを簡単に平民道と訳してはドーであろうかとの問題を改めて提議したい。
武士の階級的道徳を武士道という、しかもこの名詞は昔一般に用いなかった。士道なる言葉は素行も松陰もまたその他用いていた人が衆多ある。これと同時に武士なる語も言うまでもなく古くから使用さるる語である。然《しか》るに武士道と三ツ並べた熟字は一般に用いられなかった。僕は度々この文字の出所《でどころ》を尋ねられたけれども、実は始めて用いた時分には何の先例にも拠《よ》った訳ではなかった。然るに今日は武士道といえば誰一人この字の使用を疑うものはない。元来武士道は国民一般に普遍的の道徳ではなく、少数の士の守るべき道と知られた。しかし武士の制度が廃せられて士族というのはただ戸籍上の称呼に止る今日には、かくの如き階級的道徳は踏襲すべくもない。これからはモー一層広い階級否な階級的区別なき一般民衆の守るべき道こそ国の道徳でなくてはなるまい[#「これからはモー一層広い階級否な階級的区別なき一般民衆の守るべき道こそ国の道徳でなくてはなるまい」に白丸傍点]。また国際聯盟なんか力説される世の中に[#「また国際聯盟なんか力説される世の中に」に白丸傍点]、武に重きを置く道徳は通用が甚だ狭い[#「武に重きを置く道徳は通用が甚だ狭い」に白丸傍点]。また仮りに国際聯盟が出来ないにしても武に重きを置かんとするよりは、平和を理想としかつ平和を常態とするが至当であろう。しかのみならず先に言う如く士は今日階級としてはない、昔の如く「花は桜木、人は武士」と謳《うた》った時代は過ぎ去って、武士を理想あるいは標準とする道徳もこれまた時世後《じせいおく》れであろう。それよりは民を根拠とし標準とし、これに重きを置いて政治も道徳も行う時代が今日まさに到来した、故に武[#「武」に白丸傍点]に対して平和[#「平和」に白丸傍点]、士[#「士」に白丸傍点]に対して民[#「民」に白丸傍点]と、人の考がモット広くかつ穏かになりつつあることを察すれば、今後は武士[#「武士」に白丸傍点]道よりも平民[#「平民」に白丸傍点]道を主張するこそ時を得たものと思う。
[#5字下げ]平民道は武士道
次へ
全4ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
新渡戸 稲造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング