劣等なる町人百姓の心に堕ちよと絶叫するのではない[#「僕は今後の道徳は武士道にあらずして平民道にありと主張する所以は高尚なる士魂を捨てて野卑劣等なる町人百姓の心に堕ちよと絶叫するのではない」に白丸傍点]、已に数百年間武士道を以て一般国民道徳の亀鑑《きかん》として町人百姓さえあるいは義経、あるいは弁慶、あるいは秀吉、あるいは清正《きよまさ》を崇拝して武士道を尊重したこの心を利用していわゆる町人百姓の道徳を引上げるの策に出でねばなるまい[#「武士道を尊重したこの心を利用していわゆる町人百姓の道徳を引上げるの策に出でねばなるまい」に二重丸傍点]。丁度徴兵令を施行して国防の義務は武士の一階級に止まらず、すべての階級に共通の義務、否権利だとしたと同じように、忠君なり廉恥心《れんちしん》なり仁義道徳もただに士《さむらい》の子弟の守るべきものでなく、いやしくも日本人に生れたもの、否《いな》この世に生を享《う》けた人類は悉《ことごく》く守るべき道なりと教えるのは、取りも直さず平民を士族の格に上《のぼ》せると同然である、換言すれば武士道を平民道に拡げたというもこの意に外《ほか》ならない。
 武士があって武士道が興るのは歴史的の順序と思われるが少しく歴史の隠れたる力を研究したなら、たとえその名がなくとも武士道あって始めて武士が出現したと言うのが過言であるまい。道の道とすべきは常の道にあらずとやら、武士の道を武士道と名付ける間はまだ武士の守るべき常道を穿《うが》ったものではあるまい。いわゆる武士道なるものはその名の起る前に忠君の念、廉恥心、仁義、人道なる思想が少数の先覚者に現われて彼らはいわゆる士《さむらい》となって、その後武士の階級が起り以て武士道が鼓吹されたものであろう。今日この武士の階級が廃せらるるといえども、根本のいわゆる常道は決して失わせることなく広く施されて万民これを行えばこれが少数の武士階級に行わるるより遥《はるか》に有力な、かつ有益な道徳となるに違いはない。して万民|普《あまね》くこれを行えば最早《もはや》武士道と言われない、これが即ち僕の平民道と命名をした所以である。

[#5字下げ]デモクラシーは国の色合[#「デモクラシーは国の色合」は中見出し]

 デモクラシーといえば直ちに政体あるいは国体に懸《かか》るものと早合点する人が多い。僕はしばしば繰返してこの誤解を明かに
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