せんことを求めたが、デモクラシーは決して共和政体の意味にのみ取るべきものでない[#「デモクラシーは決して共和政体の意味にのみ取るべきものでない」に白丸傍点]。もっとも共和政体とデモクラシーと関係の近いことはいうまでもない、けれどもこの両者が同一物でない、我国体を心配するものは右両者の関係近きがためであるけれども、近いがために危険視するのは取越苦労であって、君主国と専制国と関係甚だ近い、それ故に君主国を危険視するならばそれこそ危険の極でないか。僕の見る所ではデモクラシーは国の体でもないまたその形でもない[#「僕の見る所ではデモクラシーは国の体でもないまたその形でもない」に白丸傍点]、寧ろ国の品性もしくは国の色合ともいいたい[#「寧ろ国の品性もしくは国の色合ともいいたい」に白丸傍点]。であるから共和政治にしてもデモクラシーの色彩の弱い処《ところ》もある、現に羅馬《ローマ》の歴史を見てもオクタヴィアスの時代にはその政体の名実が符合しない感がある。また近きは奈翁《ナポレオン》三世の時代の仏蘭西《フランス》も果して共和国であったか帝国であったか判断に迷う位である。また名は君主国であってもその実デモクラシーの盛《さかん》に行われる英吉利《イギリス》の如きは、名も形も君主国にして、その品質と色彩は確《たしか》にデモクラシーである。僕のしばしば言うデモクラシーは我国体を害しないものとはこの意味であって、この意味を解さないものは、吾国体を世界の趨勢、人類の要求、政治の大本《だいほん》より遠ざからしむる危険なるものと言わねばならぬ。前に武士に先《さきだ》って武士道の大義が存在したと述べたと同じ理由によりて、僕は政治的民本主義が実施さるるに先って道徳的といわんか社会的といわんか[#「僕は政治的民本主義が実施さるるに先って道徳的といわんか社会的といわんか」に白丸傍点]、とにかく政治の根本義たる所にデモクラシーが行われて始めて政治にその実が挙げられるものと思う[#「とにかく政治の根本義たる所にデモクラシーが行われて始めて政治にその実が挙げられるものと思う」に白丸傍点]。モット平たく言えば民本思想あって始めて民本政治が現われる[#「モット平たく言えば民本思想あって始めて民本政治が現われる」に白丸傍点]。して民本思想とは前に述べた平民道で、社会に生存する御互が貧富や教育の有無や、家柄やその他何に
前へ 次へ
全7ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
新渡戸 稲造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング