今日も模範として賞《ほ》められているに見ると、両人の識見にも遺憾《いかん》の点があるかの如く思わるるも彼らの隠れた動機に至りてはなお今日大に学ぶべきことであって、孔子が伯夷叔斉の如き善人と謂《い》うべきものと称賛したのも無理ならぬことである。前に述べた二人の某国人《ぼうこくじん》の心持の如きは、取りも直さず伯夷叔斉の心持を以て、自国の粟を食わずといって他国にその居を転じたので、そのやり方は同じである。伯夷叔斉の時代に海外に渡る大船があったなら、恐らく首陽山に隠れないで、日本|辺《あた》りに来たのであったろう。
[#5字下げ]愛国心の現わし方[#「愛国心の現わし方」は中見出し]
我国には国を愛する人は多くあるが、国を憂うる人は甚だ少い。しかしてその国を愛するものも盲目的に愛するものがありはせぬかを虞《おそれ》る。かつてハイネの詩の中に、仏人が国家を愛するは妾を愛するが如く、独逸人は祖母を愛する如く、英国人は正妻を愛するが如くであるというた。妾に対する愛情は感情に奔《はし》ることが多く、可愛い時には無闇に愛するが、ちょっと気に入らぬ時にこれを擲打《ちゃくだ》するに躊躇《ちゅうちょ》せ
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