あって、他国の領土を掠《かす》め取り、他人を讒謗《ざんぼう》して自分のみが優等なるものとするは憂国でもなければ愛国でもないと僕は信じている。
[#5字下げ]西洋にも現在伯夷叔斉あり[#「西洋にも現在伯夷叔斉あり」は中見出し]
僕は右に挙《あ》げた二の例に接した時、直《ただち》に心に浮んだことは伯夷《はくい》叔斉《しゅくせい》の話である。この兄弟は国を愛すること熱烈で、周の武王が木像を載せて文王と称し、主君の紂《ちゅう》を討つ時、彼らは父が死んで葬《ほうむ》らぬ間に干戈《かんか》を起すは孝行でなく、臣が君を弑《しい》するは仁でないといって武王を諫《いさ》めたが用いられなかった。その国を愛するの情は武王自身または太公望呂尚《たいこうぼうろしょう》にも譲らなかったろう。彼の眼《め》には憂国より一層高いものがあって、その高いものに法《のっと》って始めて愛国が意義をなすのである。不正の方法を以て勢力を得るはかえって己の国を弱くするものであるとなし、義、周の粟を食わずといって首陽山に隠れた。あるいは彼らの見識が過《あやま》っていたこともあろう、現に周の時代は八百余年の久しい間続き、その政治は
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