を出て、直《すぐ》に十仙の金を取る者を甲といい、後者を乙とすれば、僅か小学校を卒業した者でさえ、二十歳になって一弗の収入を得ているのに、やや高等の学校を卒業した者が、二十歳になって六十仙か八十仙しか取らない。しかもそれまでは一文の金を儲《もう》けるどころではない、常に親の脛《すね》を齧《かじ》っており、そうして学校を出てからの儲け高が少いから、双方の親が寄合って何というであろうか。甲者の親が乙者の親に向って、「お前の子供は何だ、高等の学校へ入れて金ばかりを使い、何だか小理窟のようなことばかりをいって、ようよう学校を卒業したと思ったら、僅かに五十仙か八十仙しか取らないじゃないか。して見るとおれの所の子供はエライものだ。小学校を卒業した十歳の時から金を儲け、今では一日に一弗も取っている、学問も何も要《い》らない、お前は飛んだことをしたものだ」と言うのである。かくのごときは我国に於いても往々聞くところの言葉である。然るに乙者が二十五歳になると中々前の一弗のままでない、一弗五十仙にもなる、三十歳になれば益《ますま》す良くなって来て二弗も三弗も取り、四十歳になると益す多くの収入を得るというような
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