、そんなことはどうでも構わぬ、金にさえなれば宜いのである。けれども学者と称するものが学問をする時分に、これが果して真理であるかないかということを研究するのは、これは高尚な……最も高尚とは言われぬけれども、マア今まで述べたところのものよりは遥かに高尚であろうと思う。しかしこれもよほど余裕がなければ出来ぬことである。日本で言おうならば、大学という所は、学理を攻究する最高の場所である。然るに実際はどうかというと、それは随分学理の攻究も怠らないが、学理の攻究ばかりするには何分俸給が足らない。学問するには根気が大切である、根気を養うには食物も美味なる物を食わねばならぬ、衣服も相当なるものを着ねばならぬ。冬は寒い目をしてはならぬ、夏は暑い目をしてはならぬ。なるたけ身体を壮健にしておかねば学問が出来るものではない、それには金が入る。然るに今日の有様ではいわゆる学者の俸給は、漸《ようや》く生命を継ぐだけに過ぎぬ。かかる訳であるから、学問の攻究、真理の研究などということは、学問の真個の目的とでもいうべきものであるけれども、実はあまり日本に行われていない。ドウかその真理の攻究の行われるようにしたいものだ。
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