過ぎるといかぬのである、殊に飾りの如きはそうだ。婦人が髪でも飾るとか、あるいはお白粉を付けるとか、衣類を美麗にするとか、それにしても度を越えると堪らない。されど程好くやっておくなら、益《ますま》すその美色を発揮して、誠に見宜い者である。ナニ婦人に限った事はない、男子でもそうだ、やはり装飾が必要である。男は何のために洋服の襟飾を掛けるか。やはりいくらか装飾を重んずる故だ。フロックコートの背にいくつもボタンが付いているが、彼所《あそこ》へあんな物を付けたのはどういう訳であろうか、前には臍《へそ》があるから、平均を保つため後に付けたのか、あるいは乳として付けたのか。乳なら前の方へ付けそうなものだが、後の方に付けるのはどういうものであろうか、何しろこんなものは無用の長物だと思える。けれども一は縫目を隠すため、一は装飾のためだと聞くとなるほどと合点が往く。もっともこれは、昔、剣を吊った時分、帯を止めるためにボタンが必要であったのが、今では飾となったのだ。およそ天下の物に装飾の交らぬはなかろうと思う。してみればやはり教育なるものも、一種の飾としてやっても宜い。
 学問が一の装飾となると、例えば同じ
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