本の農業改良のために、どれだけの事を尽されたかというと、何だか知らぬが、僕の眼にはあまり大きく見えない。山高きが故に貴からず、木あるを以て貴とし、位あるがために貴からず、人格あるが故に貴しとす。位地と人格との差は大なるものである。日本の教育に於いては普通仏蘭西風に、皆おれはどういう地位を得たい、銀行の頭取になりたい、会社の重役になりたい、あるいは役人になりたい、しかも高等文官になりたいといって、初《はじめ》からその位地を狙っている。そうしてそれがために五年なり十年なり奔走している間に官制改革……ヒョイと顛《ひっく》り覆《かえ》ってしまう。職業教育を狭くやると、そういう弊に陥《おちい》って来る。それならといって、僕は決して職業教育をするなというのではない、職業を求むるために教育をすればまた宜いこともある。それは独逸の例を見れば分る。かの鈍い独逸人、あれほど国民として鈍い者はあるまいと思われ、皆が豚を喰い、ビールを飲んで、ただゴロゴロとしているので、国民としては甚だ智慧の鈍い者である。そうして愛国心なども有るのか無いのか、ようよう三十余年前に仏蘭西と戦争をして勝ったから、アアおれの国もやッぱり人並の国だわいと思って、初めて一個の邦国たる自覚が起った。かく未だ目が覚めてから四十年にもならない、それまでは熟睡しておった国である。その国民にして今日の如き進歩をなしたのは、主としてこの職業教育が盛んになった結果であることは僕が断言して憚《はばか》らぬ。故に国を強くし、殊に殖産を盛んにする国是《こくぜ》の定まった以上は、職業のために――位地のためとは言わない――教育することは誰しも大いに賛成する所である。
職業教育に就いては、ここにまた最も著しき一例がある。英国の富豪モーズレーは、世界の趨勢《すうせい》を鑑《かんがみ》るに、独逸と亜米利加とは国運勃興の徴候が見えている。然るに独逸は国土に限りがあるが、亜米利加はトント限りがない。故に後来|英吉利《イギリス》の最も恐るべき敵は亜米利加であるぞ。だから一つ亜米利加の経済状態を探究して見ようというので、自腹を切って数万の金を出し、これは政府より依頼されたのではない、モーズレー自身が金を出し、英吉利の有名なる数多の人々を委員に頼み、商業、工業、農業あるいは教育と、それぞれ各自の取調事項の分担を定めて、彼らを亜米利加へ派遣して取調べさせた
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