中に教育に関した調査がある。それによって見ると、亜米利加では小学校を卒業した者、即ち十歳くらいの子供が何か詰らない仕事をして、一日に十|仙《セント》か八仙くらいの賃銭を貰う。その給金が段々と年を重ぬるに従って増して行く。十五歳になれば五十仙取れる、二十歳になるとズット進んで一|弗《ドル》も取れるようになる。それからなお段々と長ずるに従って進むかというと、先ず概してそれより以上は進まない。二十五歳でも一弗、三十歳でも一弗、五十歳にもなれば八十仙というような工合に下って来る。これはいわゆる小学校だけの教育を施したものであって、職業的の教育を授けたものでないからである。ところがここにやや高等な教育を受ける者がありとすれば、その子供が十歳の時分には十銭も取れない。小学校を卒業すれば引続いて中学校へ這入《はい》るのだから、むしろ十銭どころではない、なお学費を要する。マイナスくらいなものである。そうして二十歳くらいになってやや高等の学校を卒業すると、図を引くとか、機械を動かすようになる。そうすると直ぐにいくら取れるかといえば、一弗は取れない、先ず五十仙とか八十仙くらいなものである。前にいった小学校を出て、直《すぐ》に十仙の金を取る者を甲といい、後者を乙とすれば、僅か小学校を卒業した者でさえ、二十歳になって一弗の収入を得ているのに、やや高等の学校を卒業した者が、二十歳になって六十仙か八十仙しか取らない。しかもそれまでは一文の金を儲《もう》けるどころではない、常に親の脛《すね》を齧《かじ》っており、そうして学校を出てからの儲け高が少いから、双方の親が寄合って何というであろうか。甲者の親が乙者の親に向って、「お前の子供は何だ、高等の学校へ入れて金ばかりを使い、何だか小理窟のようなことばかりをいって、ようよう学校を卒業したと思ったら、僅かに五十仙か八十仙しか取らないじゃないか。して見るとおれの所の子供はエライものだ。小学校を卒業した十歳の時から金を儲け、今では一日に一弗も取っている、学問も何も要《い》らない、お前は飛んだことをしたものだ」と言うのである。かくのごときは我国に於いても往々聞くところの言葉である。然るに乙者が二十五歳になると中々前の一弗のままでない、一弗五十仙にもなる、三十歳になれば益《ますま》す良くなって来て二弗も三弗も取り、四十歳になると益す多くの収入を得るというような
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