るの姿勢で、双方相持になっているのが人[#「人」に白丸傍点]だということだ。我々は社交的の動物であって、決して社会以外に棲息の出来ないものである。だから吾人人類が円満に社会に立って行けるようにするのが教育の目的でなければならぬ。されど軽卒にあちらへ行ってはお追従《ついしょう》をいい、こちらへ来ては体裁能くやっている小才子を以て、教育の目的を遂げた者とはいわぬ。先ず己れの修むべきところのものは充分にこれを修め、そうして誰とでも相応に談話が出来て、円満に人々と交際をして行けることが教育、即ち学問の最大目的だと思う。
我々は決して孤立の人間になってはならぬ。あくまでもこの社会の活《い》ける一部分とならねばならぬ。然るに今まではややもすれば学問に偏してしまい、学者というと、何だか世の中を去り、山の中にでも隠れて、仙人のようになってしまうのであるが、これは大なる間違である。けだし相持ちにして持ちつ持たれつするが人間最上の天職である。かの戦国の時、楚の名士屈原が讒《ざん》せられて放たるるや、「挙世皆濁れり、我独り清めり」と歎息し、江の浜にいたりて懐沙の賦を作り、石を抱いて汨羅《べきら》に投ぜんとした。彼が蒼い顔をして沢畔に行吟していると、其所《そこ》へやって来た漁父が、「滄浪之水清兮、可[#三]以濯[#二]吾纓[#一]。滄浪之水濁兮、可[#三]以濯[#二]我足[#一]」と歌って諷刺した。この歌の意味は、「お前が厭世家になって河に飛込み、あたら一命を捨つるのは馬鹿なことだ。聖人というものは、世と共に歩調を進めて行かねばならぬ、今死ぬる馬鹿があるか」という意味であろう。してみると屈原よりも、漁父の方に達見がある。またかの伯夷《はくい》叔斉《しゅくせい》は、天下が周の世となるや、首陽山に隠れ、蕨《わらび》を採って食った。その蕨は実に美味《おい》しかったろうが、我輩の伯夷叔斉に望みたいことは、蕨が美味しかったなら、何故その蕨を八百屋へでも持って来て、皆の人にも食わせるようにしてくれなかったか、また蕨粉の製造場でも拵《こしら》えて、世間の人と共にこれを分ち食するようにしなかったかということだ。自分ばかり甘い甘いと食っているのでは、本当の人間といえない。故に我々は孤立的動物でない、人間をソシアスとして考えねばならぬ。即ち人間は社会に生存すべき者であって、決して社会以外に棲息の出来ないもの
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