で、これは著しい放射性の元素であるということでも書いてあったなら、それを平易に説いて聞かせ、なお挿画《さしえ》でもあれば見せて皆で楽しむようにしたい。その間に子供は学問の趣味を味《あじわ》うのであるが、今日のところではその教え方を無理に難かしくしている。即ち小学校などでは儀式的に教育するから、子供があちらを向いているのを、こちらへ向かせる真の教育の趣旨に適《かな》うまいと思う。前にいう通り育[#「育」に丸傍点]の字は肉[#「肉」に白丸傍点]の字の上に、子供の子[#「子」に白丸傍点]が転倒しているのであるから、その子供の向き方を変更させるのには大いに手加減がいる。その手加減を過《あや》まれば教育の方が転倒してしまう。願くは教育は面白いものであるという観念を持たせ、道楽に学問をする人の増加するようにありたいものだ。
第三[#「第三」に白丸傍点]の目的は、道楽とやや関聯している、やや類似していると思うが、少し違うので即ち装飾のために学問をすることで、これも則を越えない程度で、目的としたら宜いと思う。教育を飾りにする、これはちょっと聞くと甚だおかしい。なるほどこれは過ぎるといかぬ。総じて物は過ぎるといかぬのである、殊に飾りの如きはそうだ。婦人が髪でも飾るとか、あるいはお白粉を付けるとか、衣類を美麗にするとか、それにしても度を越えると堪らない。されど程好くやっておくなら、益《ますま》すその美色を発揮して、誠に見宜い者である。ナニ婦人に限った事はない、男子でもそうだ、やはり装飾が必要である。男は何のために洋服の襟飾を掛けるか。やはりいくらか装飾を重んずる故だ。フロックコートの背にいくつもボタンが付いているが、彼所《あそこ》へあんな物を付けたのはどういう訳であろうか、前には臍《へそ》があるから、平均を保つため後に付けたのか、あるいは乳として付けたのか。乳なら前の方へ付けそうなものだが、後の方に付けるのはどういうものであろうか、何しろこんなものは無用の長物だと思える。けれども一は縫目を隠すため、一は装飾のためだと聞くとなるほどと合点が往く。もっともこれは、昔、剣を吊った時分、帯を止めるためにボタンが必要であったのが、今では飾となったのだ。およそ天下の物に装飾の交らぬはなかろうと思う。してみればやはり教育なるものも、一種の飾としてやっても宜い。
学問が一の装飾となると、例えば同じ
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