飽くまでも此の社會の活ける一部分とならねばならぬ。然るに今までは動もすれば學問に偏してしまひ、學者と云ふと、何だか世の中を去り、山の中にでも隱れて、仙人のやうになつてしまふのであるが、之は大なる間違である。蓋し相持ちにして持ちつ持たれつするが人間最上の天職である。彼の戰國の時、楚の名士屈原が讒せられて放たるゝや、『擧世皆濁れり、我獨り清めり』と歎息し、江の濱にいたりて懷沙の賦を作り、石を抱いて汨羅に投ぜんとした。彼が蒼い顏をして澤畔に行吟してゐると、其所へやつて來た漁父が、『滄浪之水清兮、可[#三]以濯[#二]吾纓[#一]。滄浪之水濁兮、可[#三]以濯[#二]我足[#一]』と歌つて諷刺した。此歌の意味は、『お前が厭世家になつて河に飛込み、可惜一命を捨つるのは馬鹿なことだ。聖人と云ふものは、世と共に歩調を進めて行かねばならぬ、今死ぬる馬鹿があるか』と云ふ意味であらう。して見ると屈原よりも、漁父の方に達見がある。又た彼の伯夷叔齊は、天下が周の世と成るや、首陽山に隱れ、蕨を採つて食つた。其の蕨は實に美味しかつたらうが、我輩の伯夷叔齊に望みたいことは、蕨が美味しかつたなら、何故其蕨を八百屋へで
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