なかつた者を以て學者風と云ふのは、抑も間違つた話だと思ふ。盖し學問の最大目的は人間を圓滿に發達せしむることである。
今日は學問の弊として、往々社會に孤立する人間を造り出す。彼のギツヂングスの社會學に『ソシアス』(Socius)と云ふ語があるが、之は『社會に立つて、社會に居る人』の意である。實に其通りで、苟も人間が此世に在る以上は、决して孤立して居られるものでない。人[#「人」に白丸傍点]と云ふ字を見ても、或る説文學者の説には、倒れかける棒が二本相互に支ふるの姿勢で、双方相持になつて居るのが人[#「人」に白丸傍点]だと云ふことだ。我々は社交的の動物であつて、决して社會以外に棲息の出來ないものである。だから吾人々類が圓滿に社會に立つて行けるやうにするのが教育の目的でなければならぬ。されど輕卒にあちらへ行つてはお追從を云ひ、こちらへ來ては體裁能くやつてゐる小才子を以て、教育の目的を遂げた者とは云はぬ。先づ己れの修むべき所のものは充分に之を修め、さうして誰とでも相應に談話が出來て、圓滿に人々と交際をして行けることが教育、即ち學問の最大目的だと思ふ。
我々は决して孤立の人間になつてはならぬ。
前へ
次へ
全43ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
新渡戸 稲造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング